Weekend Note

2010年ブログ開設。日常、建築、旅行などについて書いています。

Debbie Tung

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国や性別が違い、全く会ったこともないのに、自分と同じようなことを感じて毎日を過ごしているんだなぁと驚くことがあるとすれば、イギリスのイラストレーター、Debbie Tungの描く漫画はまさにそうだ。英語でも内容がわかりやすく、ユーモアがあり、絵がかわいい。これらがうまくかみ合って、なんとも親しみやすい。

デビュー作の『Quiet Girl in a Noisy World』での、introvert(内向的な性格)であるがゆえの生きづらさ、一例をあげるなら、パーティーに誘われたときの、行っても行かなくても自己嫌悪に陥るという閉塞感は自分にもよく思い当たるふしがある。そして2冊目の、読書への愛を臆面もなく綴った、絵もストーリーも洗練の度合いが深まった『Book Love』では、読みながら何度も心の中で頷いたことか。読書の場所やグッズへのこだわり。街中で他人の読んでいる本が気になって覗き見すること。序盤は面白かった小説が途中からつまらなくなり、しかし読むのを中止しては申し訳ないと思う葛藤だって、手に取るようにわかる。Debbis Tungのこの2冊は、高校の夏休みの宿題を除けば、初めて最初から最後まで読み通した英語の本になった。

バーミンガムに拠点をおき、Where’s My Bubble? というサイトで漫画をアップしている著者のことは、ひょんなことからSNSで知った。それから検索し、通販サイトで本を注文。当然、これらはすべてスマートフォンで行った。 自分にとって、GAFA(グーグル、アップル、フェイスブック、アマゾン)を総動員したひとつの到達点が、コミュ障の読書マニアへの共感だというイタさにはもちろん意識的になっていたい。この点は『Book Love』にすら網羅されていなかったことだから。

映画復活か

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台北に旅行していたときの宿のホストだったチェンは、僕と同じ歳くらいに見える物腰柔らかな男性で、3泊お世話になった間に話をする時間がけっこうあった。到着した夜は近所のおいしい肉そば屋さんに夕食に連れて行ってくれたし、2日目と3日目の夜はリビングのソファと仕事用椅子にお互い腰かけて、30分か1時間くらい雑談していた。彼は映画の脚本を書いているらしく、「一人暮らしの男がいる。そこにある日、見知らぬ少年がやってきて一緒に暮らすことになり…」といったストーリーらしい。ヒュー・グラントの映画にそんな話があったね」と僕が言うと、「そう、アバウト・ア・ボーイだね。でもそれと同じにならないようにしたい」なんて話していた。

リビングの幅の広い本棚に数多くの映画の本や雑誌が並び、反対側にはヒッチコックの色んな映画の場面をコラージュしたポスターが飾られている。「パリに留学していた時はシネマテーク・フランセーズヒッチコックキューブリックの企画展が開かれていて、たくさん見たよ。でもそれ以来映画は全然見なくなったなぁ」と僕が言うと、脚本家は「それは、留学のときに一番いい映画たちを見終わっちゃったからだよ」とのこと。そんなやりとりがあったりして、チェックアウトの朝にはお土産に、色紙サイズのヒッチコックの映画のポスター(日本語の)を贈ってくれた。ありがとう、チェン。

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日本に帰ってきて、元日にはなでしこサッカーの皇后杯の決勝戦日テレベレーザINAC神戸レオネッサを、4日にはイングランドプレミアリーグの首位対決、マンチェスター・シティリヴァプールを見た。どちらも非常に充実した内容の試合で、昨夏のワールドカップ終了以来離れていたサッカー観戦を、ヨーロッパのシーズンの後半戦に合わせてそろそろ再開していこうと思わせてくれた。

マンチェスター・シティについてはアマゾンプライムビデオで配信されているドキュメンタリー番組が「めちゃくちゃ面白い」と何人かの友達から勧められていた。普段の生活では音声メディアに押されっぱなしで、アマゾンプライムは契約しているにも関わらず動画は見たことがなく、「まだご利用になられていないサービスがあります」と言う広告メールが虚しく届くに任せていたのだが、これを機に見てみることに。「オール・オア・ナッシング」という番組で、最後は勝点100に到達する圧倒的な強さで優勝を果たした昨シーズンのマンCを一年間密着取材したもの(その強さを大げさに例えるなら、陸上競技の男子百メートル走で、8秒台のタイムで優勝するくらいの異常さだろうか)。たしかに友人たちが褒めるだけある、驚くほどクオリティの高いドキュメンタリー番組だ。どのカットの映像も美しく、監督、選手のオンオフの表情を捉え、のみならず経営陣、裏方のスタッフ、市井のサポーターのインタビューまでもが丁寧に描かれている。平日の夜や休日の空いた時間に少しずつ全8話の視聴を進めていくのは至福だった。

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台湾での映画トーク。サッカーをきっかけとして回復の兆しを感じさせる映像コンテンツを見る習慣。これらが、映画をまたぼつぼつ見始める生活に合流していくような、しないような。

葱の国

このあいだの休日、まだ午前中で人通りの少ない商店街を駅の方へ歩いていると、むこうから若い男性が歩いてきた。髪を整え、上下を黒で統一した服に、使い慣らした靴とリュックの赤色が映えている。センスのいい人だと思った。朝一で買い物に行ってきたのだろうか、すれ違ったとき、リュックから葱が二本、頭を出しているのが見えた。黒と赤でまとめたコーディネートに葱の緑色が絶妙な割合で親しみやすい生活感を付け加えているみたいだ。両手でリュックのベルトを抱えてすたすたと歩いてゆくその後ろ姿をしばし見ていた。

思えば葱という野菜はいつも、生鮮食品を入れる袋から飛び出していて面白い。プラスチックのビニール袋にしろ、エコバッグにしろ、たいていの食料品が入るようによくデザインされているが、主要な品目の中で葱はそのサイズを逸脱している。そして冒頭の男性ほどフォトジェニックでないにしても、お買い物袋から飛び出した葱、およびそれを連れ歩く人たちは、街の風景に日常の心安さをもたらすことになる。

フランスの街の日常の風景に対するバゲットも、これと似た効果を持っている。葱が自然の、大地の育んだ形であるのに対して、バゲットは人間の文化の産物と考えるなら、やはりフランス人のアール・ド・ヴィーヴル(暮らしの芸術、生活を楽しむ術)は卓越しているのか、などと、見当違いかもしれない感動をおぼえたりもする。

もし世界のどこか、葱が非常に特別な意味をそなえている文化を持つ国や地域があって、そこでは買い物袋も台所も調理器具も、ひいては家具、家の間取りまで葱と密接に関わっている、ゆえに僕たちから見れば形や配置関係がことごとく微妙に異なっていて新鮮だ…そんな場所があれば行ってみたいものだ。たとえばそこの空港から発つ飛行機では、葱だけは長さが超過しても機内持ち込み可能という例外措置があったりする。

台湾へ

あけましておめでとうございます。前回の記事が中途半端なまま途切れていたけれど、那覇での友人の結婚披露宴はとてもよかった。沖縄出身の新婦が僕たちの友人で、彼女はピアニストなので、本人(とお姉さんの連弾)はもちろん、音楽つながりのゲストの方々によるサックス、リコーダー、テノールなど色んな楽器の本格的な演奏が続き、さながらスペシャルコンサートの様相を呈していた。那覇を訪れたついでの街歩きも楽しんだ。二日目からは温暖な天気に恵まれ、秋や冬という季節を知らないようなヤシやガジュマルの樹々が深い緑の葉を茂らせていた。

 12月下旬の仕事がバタバタしていた時期が終わると、早めに冬休みをとって、台湾に4泊5日の旅行に行った。台北に3泊、南の高雄に1泊。実は高雄と僕の実家のある熊本の間に直行便の飛行機が通っているので、移動の効率も良く、航空券代としてもおトク感のある台湾経由での帰省にしたわけだ。台北の天気はずっと曇りと小雨で、霧のような細かい水滴が延々と緩慢な上下運動を繰り返しているかのようだった。滞在中に太陽の光が注いだのは文字どおり一瞬だけ。気温は思っていたよりだいぶ涼しく、普段フットサルやジョギングで愛用している水色の薄いウィンドブレーカーが重宝した。そんなすっきりしない気候ではあったが、それでも、あるいは、だからこそ、灰色のぼんやりした空気の中で人々がうごめく台北の街には奇妙に心ひかれる妖術的な、幻想的な印象が残った。一方、高雄は春のような陽気で、大きな芝生の公園や港の倉庫をリノベーションしたエリアで地元の人々が思い思いの時間を過ごしていた。

東京から台北も近いが、高雄から熊本はさらにあっという間、2時間程度のフライトで到着してしまった。東京・熊本間とほぼ変わらない。熊本も大晦日などは特に晴れていて、父と南阿蘇に出かけたら、阿蘇五岳が悠々とくっきりと横に広がった姿が望めた。

年が明け、東京に一週間ぶりに戻ってくると、まだ生活のリズムが戻らず、買い物を忘れたり洗濯で洗剤を入れ忘れたりした。また、お店に行けばまだ年始の営業が始まっておらず引き返し、映画館に行けば相当見上げる必要のある最前列の席しか残っておらず諦めた。空振り続きの年始である。自分にとって2018年は全体を振り返ると地味ながら非常に良い年だったが、今年はいかに。

那覇市へ

知人の結婚披露宴に出席するため、沖縄に来ている(辺野古へ土砂が投入されたこのタイミングで本州から沖縄に来るのは少し複雑な気持ちだ)。とはいえ、金曜日から2泊3日の日程のど真ん中、土曜日の正午から那覇市のホテルで披露宴なので、沖縄を回るというよりは、那覇市で時間をつぶすという感覚だ。

自分の思い出では、今回で2回目の訪問となる沖縄のイメージは、よくない。前回は2000年の12月、中学校の修学旅行で来たのだが、これが苦い思い出だ。神奈川から熊本の中学校に転校して日が浅い時期だったので、同級生との仲も深まっておらず、沖縄にいる間もずっと疎外感や居心地の悪さを感じていた憶えがある。あちこちを忙しなくバスで連れ回すような旅程にもセンスがなかった。

沖縄自体の良し悪しとは本来関係のないはずの18年前の悪しき印象が思っていた以上に強かったのか、今回、金曜日の午後に那覇空港に着いてからの気分も、どうにも盛り上がりに欠け、陰鬱だった。空はどんよりと曇っている。寒くはないが暖かくもない。冷たい飲み物がうまくもならず、温かい飲み物が沁みもしなさそうな中途半端な気候。モノレールから見える那覇の街は、くすんだコンクリートの建物が漫然と続いている…。

それでも、宿の受付の人、コンビニや本屋の店員さん、そんなささやかながら具体的な人たちとのやりとりを通じて、徐々に気持ちと身体が場所に慣れてきた。今、土曜日の午前はよく晴れている。

本とノート

前回の記事、話としては「ラーメンを食べました、おいしかったです、いいお店だとおもいました」というだけのことなのに、書くのにけっこう難儀した。下書きを書いていてもどうにも考えがまとまらず、理由もないのにやたらと焦る。こういうときは字が汚いし、言葉も思いつかず、文と文の接続もいまいち。それで一度は文章にまとめるのを諦めた。

気分転換に、その日に読み終わっていた本の内容をノートにまとめることにした。これはよくやるのだけれど、大したことではなくて、簡単なメモである。今回は20章からなるエッセイの本だったので、各章の題と、その内容を1センテンスでメモするだけ。半分はただの書き写しだ。ところが、始めてみると、先ほどまでのくさったような心持ちがみるみる落ち着いてきた。著者への敬意や愛着と、淡々と一章ずつ本をめくってはメモを書いてゆく単純作業に身を任せることが、気持ちを穏やかに静めるのか。ほぼA5サイズのノートの右側ちょうど1ページ分を使って書き終えたときにはすっかり悠然とした気分になっていたもので、すると不思議にも「いぶし銀」の話をスラスラと書くことが、少々気取った言い方をすれば、綴ることが、できたのだった。

いぶし銀

先日、近くに用事があったついでに、町田で一人で昼食を食べることになった。町田はラーメン激戦区ということで勇んでラーメン屋を探しはじめたが、運悪く閉店していたり休業中だったり…。昼の時刻もだいぶ過ぎ、昼ごはん難民になりかけたが、小田急線の線路沿いの道にある「いぶし銀」という店が開いていて、入れた。この店、メニューで煮干しラーメンを「ジャパン」、肉だしを「ターボ」と呼んでいたり、「124Ag」(124=いぶし、Ag=銀)とプリントされたTシャツを販売していたり、独自の個性と世界観を作り上げている。味のほうもたしかで、とても緻密で丁寧、うまい。ゆっくりと時間をかけて楽しみたい美味しさだ。

カウンターのふたつ右の端の席には、小ぎれいな身なりの男の人が座っていて、対象と話をしている。大将は男の人のことを「先生」と呼んでいて、会話から推測するに、この男の人は以前塾か家庭教師のバイトか何かで大将の子供を教えていたのだと思われる。「先生」は僕と年齢も職場の最寄駅も同じようなので親近感を持った。「また帰って来たときは顔出します」食べ終わった器を両手でカウンターに置き、そう言って先生は店を出て行った。彼が去って、僕が昼の営業時間の最後の客となった。じっくりとジャパンを味わい、お会計をして外に出る。いい店だった。こうした経験がひとつあるだけで、その街の印象がとても好ましく変わるから不思議だ。町田市出身の人に「神奈川県町田市ですよね?」と、お決まりのつっこみを入れることをやめはしないだろうけれど。