Weekend Note

2010年ブログ開設。日常、建築、旅行などについて書いています。

ヴェネツィアの死(南仏、北イタリア旅行記 20)

2年前の夏に読んだ塩野七生の『海の都の物語』が、今回ヴェネツィアを体験するときのひとつの基準点になっていた。ヴェネツィア共和国の建国から滅亡までの一千年を描いた歴史小説で、でも、年代をふまえつつも、十数章それぞれの角度からヴェネツィアに迫ったという方が近い。

最初の建国の章では、潟に街を建設するための土木建築的な分析が書かれている。「ヴェネツィアではすべて、必要性と結び付けて考えると理解が容易になる」などは至言だ。ここから始まり、さらに経済の興隆、一個人への権力集中を慎重に避ける政治システムの構築。ジェノヴァとの競争や、大国トルコとの戦い。一方で、女たちの日常生活や、当時流行したイェルサレムへの聖地巡礼の様子を語る章もある。そして、「ヴィヴァルディの世紀」の章で華麗に花開いた文化を描いた直後、最終章「ヴェネツィアの死」で、ナポレオンによってあっけなく滅ぼされる。


この「ヴェネツィアの死」という言葉が、いつも頭にあった。実際ヴェネツィアを歩いてみて、なるほど、もう死んでいるのかもしれないな、と…。たしかに、街はよく残っている。人も住んでいる。観光客の賑わいを見たまえ。世界中の人たちを惹きつけ続けている。また、路地を五分もゆけば生活感あふれる風景もある。子供たちが小さな広場でサッカーをして遊んでいる。おばあさんが細い運河に架かる太鼓橋をゆっくり渡っている。洗濯物が臆面もなく干されていて壮観だ。

しかし、海とつながることで、海に出て行くことで生き抜いてきたヴェネツィアのメンタリティは、一週間の短い滞在ではあったけれど、もはや過去のものとしか感じることができなかった。だから昨日のタイトルも、「水」の都の写真たち、としかできなった。

言葉には、触発される。「ヴェネツィアの死」という言葉が、ヴェネツィアアイデンティティとは何かを考える態度にまっすぐに連れてゆく。そして、一週間歩き回ったヴェネツィアに対して、経済・政治・文化のすべてで人間がいかに創造的可能性を備えているかを街全体が表しているヴェネツィアに対して、今感じている感情の大切な部分にも気付かされる。

それは、燃え尽きて引退した人に対して感じるような、その人が肉体的に生きていても死んでいても変わらずに感じるような、あたたかい敬意。そんな心の持ちようなのだと思う。