Weekend Note

2010年ブログ開設。日常、建築、旅行などについて書いています。

修論が終わって

久しぶりの更新です。先週の月曜に無事に修士論文を提出しました。お世話になった方々に深く感謝します。

さて、本論の提出が終わり、来週の発表の準備をまた進めていくところだが、まだ自分の書いたものを客観的に見られるほどの時間が経っていないし、まだ完全に意識化・言語化できていない部分も残っていると思う。むしろすべて分かりきってしまうのは気持ち悪いし、そんな論文なら大したことのないものだろう。まずは発表会での先生方のご批判を待ちたいところだ。


タイトルは

『水の領域史―玉川上水と分水の盛衰―』

という壮大なものになった。



前述のように内容のクオリティは保留とするけれど、自分としては数か月以上の長い期間楽しんで取り組めたと思う。武蔵野地域の形成の起原を明らかにするという、誰に頼まれたでもなく自分で「知りたい」と思ったこと、それ以上でも以下でもないことをどう調べ、そして語るか。そういうストーリーテリングの面白さをしっかりと体験できた。

大学院に入った頃は、建築の設計は新しいものを生み出し、歴史の研究はアカデミックな世界で過去と向き合うといった先入観がどこかにあった気がするが、それは間違っていた。ちょうど修論に取り組んでいる期間中に山中教授のノーベル賞受賞のニュースがあったが、分野は違えど、未知の領域に突き進んでいく研究というものの興奮や苦労を少しばかりでも自分なりに実感できたと思う。逆に、来年度からは建築の設計の仕事を始めるわけだが、物としては新築の建物ができていくからといって、自分が「新しいものを創造している」などと無批判に思い込まないようにしていきたいとも思った。

以上のようなことを伊藤先生に話したところ、
「君は設計に進むけれど、一度ここで歴史研究にじっくり取り組めたことはよかったんじゃないか。まあ後は(=博士以降は)泥沼、、、(笑)」

それも周りを見ていていつも感じていることではあったけれど、自分の体験としては経ずしてひとまず社会に出て行く。自分の位置付けは大体こんなところだろうか。