Weekend Note

2010年ブログ開設。日常、建築、旅行などについて書いています。

ルーヴル・ランスに流れる時間(イギリス、フランス旅行記 7)

北フランスの雪によるロンドンでの軟禁が解け、ユーロスターでフランス入りし、リールで乗り換え、ランス(Lens)という小さな街に到着。

説明臭いけれど、最近ルーヴル美術館の分館のルーヴル・ランスがオープンした。建築設計を日本人SANAAが担当し、ランドスケープを担当したカトリーヌ・モズバの事務所でインターンをしていたので思い入れもあり、現地が近づくに連れてなぜか少し緊張していった。

午後遅くランスの駅に降り立つと、ある程度予想していたとおり、小さなしがない地方都市だ。歩いて20分ほどでルーヴル・ランスの広大な敷地に入ってくる。インターン中に何度も図面で見ていたのをどんどん思い出してくる。ところが、まだ木を植えたばかり、芝生も生えておらず、明らかに途中段階なのでいささか落胆する。

次に美術館の建築は、金沢やローザンヌを訪れたことがない僕にとっては初めてまともに見るSANAAの作品だ。これがSANAAミニマリズムか、たしかに極限まで無駄を削ぎ落とさんとする気迫を感じる。特にメインの巨大な展示室「時のギャラリー」はおそろしいまでのニュートラルな空間で、古代から近代にかけての展示品が一同に会するというルーヴルの本質が明快に表れているように思った。ただ一方で、揃っているべき部材が不自然に仕上がっている点など、細かい施行の粗が目に付く面もある。すぐ後日に建築関係の人と話しても、そんな粗が気になった点がいくつか話題にのぼった。

等々、全体を通じての印象は高かった期待を裏切るものだなと最初は思ったが、すぐにその判断は時期尚早だと気付いた。細かい点に目くじらを立てればきりがない。けれど、より時間的、空間的な広がりの中で捉えるべき場所だと考え直した。春になり夏になり、ランドスケープも落ち着いてきて、企画展なども軌道に乗り、さらにもっと時間を経るごとに、ゆっくりとランスの街の人たちにとって、観光客にとっても大切な場所になっていくのだろう。ヨーロッパの人たちの、建築を使いこなす・使いたおす凄さに何度感嘆させられたことか、それをこのランスでも感じたい。

眼前にある建築や場所を「完成品」として評価するのではなく、同時に過去と未来を想像しながら評価する態度をとても強く意識させられた。言い換えれば、ルーヴル・ランスは建築やランドスケープのデザインが引き受けるべき時間について考えさせられる、だから10年ごとくらいに訪れたい、そんな場所だった。