Weekend Note

2010年ブログ開設。日常、建築、旅行などについて書いています。

パリが恋しかったか(イギリス、フランス旅行記 8)

15日早朝ランスを出発し、朝のうちにパリに到着。全く予想していなかったことに、自分にとって2年近くぶりのパリなのに、一瞬にして心身が街になじんで特別な感慨はまったくなかった。

まずはユースホステルにチェックイン。すぐに出かけ、初めてパリを訪れる友人を案内する。しかしながら僕に求められたガイドは、サクレ・クール寺院エッフェル塔凱旋門ルーヴル美術館と、こうして固有名詞を羅列しているのが小っ恥ずかしいような観光名所を見て写真を撮ること、すなわち他人が先鞭をつけた評価をトレースすることを手助けするものであった。と、揶揄的に書いてみたり。
     
パリの街の様子は相変わらず。ポンピドゥー・センターのダリ展に仕事帰りや学校帰りのパリジャンたちがとてつもなく長い行列を作っていた。展示室の学芸員たちは例によってかったるそうにしていた。ピカソ美術館はいまだに再オープンしていなかった。エティエンヌ・マルセル駅の改札が壊れていて無料でメトロに乗れた、等々。変化はレ・アールの改修工事が本格的に始まったことや市の周縁部のトラムが発達したことなどか。

翌日、一足早く帰国する友人と別れ、昼は「いってらっしゃい!」と題した記事でも書いたサークルの友人と再会し、彼のフランス生活など互いの近況についてゆっくり話す。チュイルリー公園でカフェをおごってもらう。夕食はオースミップ(交換留学プログラムの名前)で僕たちの2期下の留学生たちと共にする。皆元気そうで安心する。また、それぞれが自分なりの留学生活を作り上げようとしている姿勢を応援したいとも感じる。

その夜は寮に泊めてもらう。僕らの時と同じ寮だ。今よりも知識も経験も少なくて、小さなことに一喜一憂し、いつも質素でお腹をすかせていたけれど、希望はしっかりと持って一生懸命毎日を過ごしていた、そんな当時の自分が出てきそうな気がした。

留学を終えてから、パリでの生活を恋しく思っていた時期も多かった。けれどそれは、より正確には一生懸命だった時期が恋しかったのだと思う。今また将来への希望を持って前向きに進んでいこうと思えてるからこそ、久々のパリにも特別な感傷を感じなかったのではないかと思う。