Weekend Note

2010年ブログ開設。日常、建築、旅行などについて書いています。

次の7年へ、建築をめざして(イギリス、フランス旅行記 13)

ロンドン、リヴァプール、またロンドン、ランス、パリと回ってきた卒業旅行で本当に行ってよかったと思うことは、ヨーロッパにいる知り合いと沢山話をしたことを通して、自分のこれからの将来についてのビジョンや覚悟がすごく明快になったこと。

僕は母方の実家の松本で生まれ、物心ついた幼稚園の時には埼玉県の所沢にいた。その後、親の仕事の都合などで各地を転々とする。

神奈川県の厚木市:7年(小1夏〜中2夏。小4で半年間チューリッヒ
熊本県熊本市:5年半(中2夏〜1浪)
東京:7年(大学1年〜?。大学院で1年間パリ)

このように7年程度に周期で場所や環境が大きく変わり、そのたびにリアクションを強いられてきた。しかしアイデンティティ・クライシスに陥ることなく、それぞれの場所を大切に思えている。これは自分の幸運と苦労の結果だろう。修論の裏のテーマも、東京や武蔵野地域とじっくり向き合い、自分にとっての東京の場所性を確かなものにすることだった。

大学に入学し東京に来たとき、これからは精神的に自立して生きていかなければと思った。ところが自分にはとりたてて何の取り柄もなく、何に対してどんな努力をするかから考えなければいけなかった。希望通り建築学科に入ったものの、才能がないと気付いたので、いつの頃からか人一倍努力しなければいけないと考えるようになった。幸運にも卒業設計では学内の奨励賞(メダルはとれなかったが入賞はしたくらいの感じ)を獲ることができ、設計に向いてなくなはさそうだと思える気持ちで学部を卒業、大学院での留学などにつながっていった。修論ではより広い視野から建築を捉える視点を得るための布石を打とうと、設計とは距離をとって歴史の研究に取り組んだ。こうして振り返ってみると、大学での7年は、「可能性のようなもの以下」であった自分が、「可能性」になっていく過程だったのだと思う。

このようなことはいつも何となく考えていたけれど、今回の旅行で、主体的に生きているがゆえに尊敬でき、素敵と思える知り合いたちとの会話を通じてあらためてハッキリと意識化された。

では次の7年は?そしてその後は?

僕が就職する会社(これからはイニシャルでMJSとしておこう)の名前を言うと、多くの人が「安泰だね」と返してくれるけれど、僕は7年程度で大きな変化が起きる方がよほどイメージしやすい。それが子供の頃は親の都合で引き起こされていたけれど、これからは自分で積極的に変化を求めていくべきではないか。そう考えたときの7年後となると、建築家として独り立ちすることがはっきりと意識された。

建築学科に入った時点では、おそらく他の多くの建築学生と同じようになんとなく建築家になりたいと考えていた。留学中に若い建築家の田根剛さんのもとでインターンし、彼らと身近に接し多くの話をできて、建築家についてより具体的に考えられるようになった。そうして少しずつ進んできて、今また新たな気持ちで建築をめざしていこうと思えた。