Weekend Note

2010年ブログ開設。日常、建築、旅行などについて書いています。

グレン・グールドと日記の字

大学ノートに日記をつけ始めてから3年が経った。人には「毎日えらいね」と言われることもあるが、自分としては今や特に目的意識もなくその日の出来事や感じたことをただ書いているだけなので、何がえらいのか正直よくわからない。けれど、えらいと言われるのだから、多分えらいのだと思う。

この日記については、書きはじめた頃に比べてどんどん字が雑になってきていたのが、また最近丁寧な字になってきた。それがグレン・グールドによるものだというのが今回のトピック。でも、音楽を聴きながら日記を書いているわけではない。そうではなく、カナダの生んだこの天才ピアニストのインタビューを記した本『グレン・グールドは語る』のおかげだ。

僕は昔からちょくちょく読書ノートをつけていて、本によっては学校教育の各教科のノートをとるように内容をメモしたり、また文体や言葉遣いそのものが魅力的であれば気になった箇所をそのまま書き写す。『グレン・グールドは語る』は、後者だ。音楽の専門的な知識については僕はほとんど分からないが、グールドの才気や知性が小さな一冊から溢れ出てくるようで実に興味深かった。夜寝る前に本の中のグールドの発言(ときどき聞き手のジョナサン・コットも)をノートに書き写す日が何日か続いたのだが、魅力を感じた言葉を書き写すとなると自然と心身の緊張が解けてリラックスでき、字も丁寧になる。そしてその流れのまま日記を書くと、日記の字も見違えるほど丁寧になった。

話はさかのぼるが、2年前に日記が1周年をむかえた頃にはトーマス・マンの『魔の山』を読んでいた。そして今回グールドの言葉の中で気に入ったもののひとつが、

あれはわたしのハンス・カストルプ時代だったと思います。本当に素晴らしかった。そこには昂揚感(a sense of exaltation)がありました。、、、

なので、自分の中で色々な物事が色々なふうに繋がって面白くもある。

それにしても、グレン・グールドの名前を出すと、それだけで何となく文章のかっこよさが加点されますね。僕の音楽の素養ではカナシイことに彼の偉大さをちゃんとは理解できないにもかかわらず。