Weekend Note

2010年ブログ開設。日常、建築、旅行などについて書いています。

移動祝祭日

8月に入ってから、パリ留学時代の友人たちと会う機会が3週末連続で続き、「久しぶり!」「一週間ぶり!」「職場でいつも会ってるけどね」から始まる会話や何やかやから本当に元気をもらっている。特別にふさぎこんでいたわけでもないが、彼ら彼女らに会うといつも、以前も今も辛いことはあっても一生懸命楽しくすごしているのだと思う。そして、だとしたらどうしてこれからもそうでないはずがあろうかと、シンプルで前向きな気持ちになれる。

さて一歩踏み込んで、こうした気持ちの流れを支えているものは何かと考えたときに、ひとつあると思うのは、共有している場所の気持ちよさなのだった。数年前にいわゆるヨーロッパの美しい街並みや自然を一緒に体験しただけでなく、日本で会うときも、場所のセレクトにどこかしら「冴え」がある気がする。これに気付いたのは一昨日の金曜の夜のこと。帰国しているRaybunから飲もうと連絡が来て、22時頃に渋谷のお店に着くと、街角の1階の半屋外の席に8人が集まっている。クールダウンされた自然の風が抜けていく席だった。高さのあるテーブルと椅子のおかげで、すぐそこに渋谷の賑やかしい街がありながら、乱暴に隣り合わされてもいない。必要以上に気取った感じもない。素敵な場所だった。途中参加だったので誰が選んだお店かわからないけれど、皆の中で無意識的に「共有すべき場所の基準(スタンダード)」みたいなものが、やはりパリに設定されているのではないかと考えられた。そうすると、飲み会の店に限らず、今までに会った諸々の場所同士の緩い一貫性のようなものにも心あたりが湧いてきた。

もし幸運にも、若者の頃、パリで暮らすことができたなら、その後の人生をどこですごそうとも、パリはついてくる。パリは移動祝祭日だからだ。

このヘミングウェイエピグラフを読んだのは3年前になるが、自分にとって、自分たちにとって、いよいよ本格的にパリが「移動」し始めたのだという気がしてくる。一時的につながりが細くなることはあっても、ひとりひとりの存在感が薄れることもない。そうして今後一層ついてこられたりついていったりし合えればいいな、と思う。たぶんその動力として、パリをひとつのスタンダードとしての、街や自然への愛情がある。