Weekend Note

2010年ブログ開設。日常、建築、旅行などについて書いています。

ハイライン(つづき)(ニューヨーク、ボストン旅行記 4)


ハイラインの魅力は何と言ってもそこからの眺めだと思う。実際に現地を訪れるまでは、空中庭園の実現という事実に、言い換えればハイラインの物体そのものにばかり気を取られていたので、自分にとってこの眺望という要素は驚きだった。それは絶景が見られるということではなく、過ごす街に対する新しい視点を提供した点に対しての驚きだ。前回も書いたようにハドソン川エンパイアステートビルが不意に見えたりする他にも、道路の様子を見下ろせたり、高架の上にいることで周りの建物も地上から見るより全景が捉えやすくなったり、低層から高層の建物の重なりが見えたり。それを歩行のゆっくりとしたスピード感において体験できることが新しい楽しさなのだと思う。

それに関連して、旅行前に読んでいたハイラインのプロジェクトについての本の内容で興味深く思い出されたのが、ハイラインの保存再生を取り仕切ったNPO「フレンズ・オブ・ハイライン」の共同設立者であるロバート・ハモンドもジョシュア・デイヴィッドも、はじめはハイラインにこうしたポテンシャルがあると明確には意識していなかったらしきことだ。二人とも、また写真家として貢献したジョエル・スタンフェルドも、ニューヨーク市の都市計画を担当してハイラインの立役者となったアマンダ・バーデンも、廃線跡地となっていたハイラインに初めて登った際には、長大な草むらが続いている光景に一目で魅了されはしたらしい。けれどジョシュアにいたっては最初は素朴に歴史のある高架を保存したいと思っただけで公園として再生することも考えていなかったらしいし、ロバートもここまで人気になるのは予想外だったと本の中で語っている。

モノを言ったのはデザインだと思う。高架上のランドスケープデザインはそのものとして散策や滞在が魅力的なもので、だからこそ全てが実際に完成した際に、ハイラインが備えていたポテンシャルが一気に万人が了解できるかたちで解放されたのではないか。それから、ハイラインはあくまでも公園で、小規模なグッズ売り場を除いて商業施設が全くないところも良い。アマンダ・バーデンはTEDカンファレンスの中で、ディベロッパーがハイラインに商業施設を計画しようとするのを退けた旨を話して拍手を浴びている(素晴らしいとは思いません。それは公園ではなくショッピングモールです!)。確かに彼女は正しいと思う。異国人としてハイラインを歩いてみて感じたのだが、それがどのようなものであれ商業施設がもたらす類の楽しさは人間の多様性に対しては限定的で、それよりもランドスケープが美しいとか街を眺められて楽しいという感覚はずっと普遍的ではないだろうか。

そして、ハイラインの南端に隣接してレンゾ・ピアノの設計でオープンしたホイットニー美術館の新館も、建物内部のギャラリーからハイライン側にせり出した何層もの屋外テラスと空中回廊によって、街とのコミュニケーションというハイラインの魅力を受け継ぎ、さらに強化させているように思う。パリのポンピドゥー・センターのエスカレーターがそうだったように、ピアノはここでも街に対して高くから眺め、また眺められるという新しい視点を贈っている。こういう行為は高度に芸術的だと思う。