Weekend Note

2010年ブログ開設。日常、建築、旅行などについて書いています。

新鮮なような懐かしいような

前回の記事でさらっと触れたが、引越しをした。2013年4月の入社時からお世話になっていた社宅の入居期限がきたので、自分で探した新しいアパートに移った。ちょうど僕たちの入社の時期に新築されたその社宅は設備快適、通勤便利、家賃低廉と良い条件がことごとく揃っていて、僕はひたすら「恐縮だ、恐縮だ」と周囲の人たちに話していたほどだ。3年近く過ごした建物や生活圏には、批判的に捉えられる点もいくつも思いつくが、総じて名残惜しい気持ちを感じている。

僕は大学に入学してからは留学期間を挟んでずっと東京に住んでいて、学生時代は世田谷区、北区、台東区と移り住み、社宅は港区にあったので、居住地の軌跡が皇居を中心に時計回りの円を描いてきたことになる(上空から見ると)。今回の新居の位置はその流れを踏まえて、世田谷区の某所に定めた。土地勘のある場所であり、これまでのどの引越しよりも多くの下見を重ねたが、いざ越してきてみると、ああ、新生活が始まるんだなあ、という素朴な期待と不安を抱いた。今でもその感慨が鐘の残響のように続いている。

また、引越しの直前にあらゆることに「最後」が付いたのと同様に、引越しの直後はあらゆることに「最初」が付く。最初の夕食、最初の買物、最初の洗濯。最初の通勤では、不慣れのため間違えて女性専用車両に乗り込んでしまい、一駅で降りて次の電車に乗り直した。最初の人間。彼は何年もの間、忘却の土地の暗闇の中を進んできたのだったが、そこでは一人一人が最初の人間であり、父親もなく、彼自身が自分の力だけで成長しなければならなかったし、……………

しかし、この2週間の生活が「新」や「初」ばかりに染められるわけでは、決してない。広い世田谷区の中でも以前住んでいた場所と近く、住宅地の雰囲気がとても懐かしい。自転車でキャンパスに通ってしまいたくなりそうだ。斜めに入り組んだ歩行者スケールの道また道。微かな高低差の坂。暗渠の緑道。小ぶりな寺社や公園の林。家々の植栽。そうした小さな無造作が無数に積み重ねられて、じつに現実的な街の環境がつくりだされている。「東京って、大自然ですよね」これは僕の好きな誇張表現のひとつだが、なるほど、ぴったりだ。この環境には、自分の生活は自分次第だと住む人に実感させる力が、どこかある。