Weekend Note

2010年ブログ開設。日常、建築、旅行などについて書いています。

結婚披露宴

2月前半の週末に2週続けて結婚披露宴に出席した。最初は横浜、次は熊本だった。めでたく、そして、ありがたい。しかしながら、日頃は使わない心身のエネルギーを消耗するようで、疲労が溜まりもするのだった。こうも続くと、いっそ離婚披露宴なんてあったら面白いだろうに、などとブラックユーモアも思いついてしまう。(それでは旧郎旧婦の入場です。皆様盛大な拍手でお迎えください!)

どこの会場でも、モノやヒトが発散するキッチュな空気がたぶん疲労の源だ。梨木香歩さんの言葉を借りれば「市井の善男善女が人生のスタートを祝うに十分な晴れがましさと無難さ」と揶揄的に表現されるような。司会の甲高く職業的な声音。忙しなく入れ替わり立ち替わりするBGM、それも古今東西のあらゆるジャンルの音楽が会し、さながら中学校の音楽の授業のダイジェストのよう。諸々の印刷物に散りばめられた文字に着目すると、明朝系のフォントたちが、結局のところ自分たちはゴシック系のそれよりも優等なのだという差別意識を隠そうともせず、時折斜体になってみせることで格差を広げにかかっている。そして、やはり印刷物全般のちょっとした縁取り、家具食器類の装飾、はてはWCのハンドソープ容器にいたるまで、執拗に繰り返される植物のモチーフ。いまや植物は完全な勝利を収めようとしていた。あまりにも植物が優勢なので、参集した人間たちの意識や行動も植物に絡め取られて、いつの間にか植物と同化してしまいそう。

そんなマナーと常識、さらに悪い場合にはいわゆる柵(しがらみ)に包囲される四面楚歌においても、時折ふいに「本物」が立ち現れることがある。緊張の面持ちで述べる新郎の挨拶の、その言葉の間合い。二次会のオープニングの様子を、新郎新婦には内緒で遠目から一目見にいらした御両親の眼差し。裏方の幹事やスタッフの方々の気の配り、目の配り。三次会の席で正装を解かれて安堵しつつ、一方でまだ主役としての振る舞いも保っている二人。たしかに、人はカメラの前では嘘をつくものなのかもしれない。夥しい数のシャッターの隙間に明滅する「正解」こそを、愛でたく思う。