Weekend Note

2010年ブログ開設。日常、建築、旅行などについて書いています。

まさに文明の憂鬱

いつもと違った靴を履いたわけでも、長い距離を歩いたわけでもないのに、金曜日に右足の裏の中央付近、土踏まずの足先寄りの位置にマメができて、みるみる大きくなり、翌日の土曜日には直径二センチ、高さ一センチ程度の大きさにまでぷっくりとふくらんだ。グミのようにも見えるし、親指に次ぐ大きさの第六の指が場違いな部位に突然発生したようにも見える。これが少しでも何かに触れると忽ち激痛が走り、また足の裏を握ったりつっぱったりして皮膚がほんの少し伸び縮みするだけでも、直接触れるほどではないがやはり痛みに襲われ、数歩の移動もままならないほどになってしまった。土曜日は昼過ぎから出かける用事があったのだが、普通に歩くことすら難儀する状況においては、家から一歩出た外は広大で過酷な野性へと姿を変えている。しかもその日は大気が安定せず、突如猛烈な雨が地表を叩きつけたと思ったらすぐ後には日差しが照りつけ蒸し暑くてかなわないような昼下がり。家から徒歩一分の最寄りのバス停にもたどり着けないまま心が折れて、苦痛に顔をゆがめながら家へと引き返し、「体調不良のため行けない」旨の連絡を入れた。これほど情けない体調不良、これほど格好のつかない体調不良はかつてなかった。かくして週末を通じてほぼ家に引きこもることに。途端に退屈になってしまったが、こうしてブログを書いたりなんやかやで時間は埋められていき、面白いポッドキャストを見つけたりもして、それなりに気分転換のできた週末にはなった。

現代のように精巧にテクノロジーが発達し、恐怖と期待のないまぜになった興奮を伴って人工知能が注目を集めているという一方で、「靴ずれ」という至って原始的な問題が一向に解消される気配がないのは不思議に思う。ついでに話が飛ぶと、傘というものも、強い雨に対しては身体が濡れることをあまり防げないし、道具としてもっと進化できないものかといつも思う。まさに文明の憂鬱だ(いや違うか)。では具体的にどう改善するのかとなると、自分としてはまったくノーアイデアなのだから、愚痴に過ぎないものではあるけれど。たぶんこのように問題視するならば、靴を履いて足の裏を傷つけるような地面を歩こうとすることそのもの、あるいは傘をさして雨を防ごうとすることそのものに、根本的に何か自然と相いれないものがあるのだと思えてくる。特に傘に関しては、子供などは雨に濡れたところで失う物や時間をあまり持っていないぶん、大人と比較してすごく精神的に余裕を保てているという気がする。子供にはもう戻れないとしても、もっと柔軟な地面観や雨観を身につけていきたいとぼんやり思ったりしたり。

マメは後日皮膚科のお医者さんにかかり、医学的には水疱というらしいことがわかった。その場でさっと針で皮を破っていただき、水が出てふくらみもしぼみ、大分楽になって一件落着。