Weekend Note

2010年ブログ開設。日常、建築、旅行などについて書いています。

審査(イスラエル、ヨルダン旅行記 11)

9月20日 午前

今日はキング・フセイン(ヨルダンとイスラエルの国境)を通過した。

朝六時にチェックアウトすると伝えていたのに、ホテルの受付の今朝担当の人が寝坊して少し遅れる。ものすごく眠い状態でものすごく申し訳ない気持ちになっていることがひしひしと伝わってきて憎めない。そんなチェックアウトを済ませて、手配してもらっていたタクシーでアブダリのバス乗り場へ向かう。三日目の正直でチケットを購入してバスに乗り込み、七時過ぎに出発。乗客は十人もいないくらい。茫漠・荒涼とした景色の広がる道路を一時間ほどゆき、国境に着く。

まずはヨルダン出国の手続きが行われる。ここでは出国税を払ったりするだけの簡便でわりかしいいかげんな手続きをこなして難なく通過する。次に、別の大きなバスで同じく国境を越える旅行者たちと一緒にされる。ヨーロッパ人が多いように見える。前の座席の人が持っていたスイスのパスポートのデザインがかわいらしかった。このバスで十分ほど緩衝地帯を移動したのち、イスラエル入国審査の行われる建物に着く。バスから降り、外に出ると刺すような日差しだが、庇の影の下に入ると涼しい。ハエが大量に飛んでいるような簡素な建物に、大勢のアラブ人(含パレスチナ人)、欧米人、さらに中国人の団体客などが列をなして混雑している。ここからだ、という緊張が高まるのを感じる。

まず大きな荷物を検査に預け、次に手荷物検査、そして入国審査と続く。この一連の流れは一般的な国際空港での出入国の手順と同様だが、キングフセインではその都度長蛇の列での待ち時間を過ごすことになる。何十人もの群れをなす中国人たちはこんな場所でもおかまいなしに大声で雑談を楽しんでいて、皆が皆楽観的な旅行者パワーをみなぎらせている。尊敬とは少し違う気がするが、この逞しさはポジティブな意味でとてもすごいなと感心した。

そうこうして、ようやく最後の入国審査にまでたどり着く。若い女性の審査官に、一段高くなったボックスから見下ろされながら質問を受ける。イスラエルではいつまでどこに滞在するか。イスラエルは初めてか。渡航の目的は。ヨルダンでは何をしていたのか。イスラエルに知り合いはいるか。その知り合いは何をしているのか。緊張から実際より長く感じていたかもしれないが、一人あたり数分から十分くらいかけて、これらのことを尋ねていく。で、大半の渡航者が時間はかかったものの通過していったのに、僕は怪しまれたのか、通してもらえず、「まだ調べるので、少し座って待っているように。別の人が呼びに来るから」と返されてしまった。この時の不安感たるや…もう終わった。尋問、いや拷問でもされるのかもしれない。飛岡ごめん。色々と旅のアドバイスをありがとう。でもイスラエルの旅はここで潰えるかもしれない。約束は奪われそうだ…。

後から振り返ると、ここまで思ってしまったことはイスラエルの人たちに申し訳ない。だが建築的な観点から言うと、空調の効きすぎた寒い粗末な建物が要らぬ緊張と不安を助長していたことも明らかだ。少なくとも自分は絶対このような建物を設計しないようにしなければと心に誓った。ちなみに、どう見ても無害な旅行者にしか見えないゲルマン系の女性も同じように追い返されてベンチで手持無沙汰にしていた。審査基準がよくわからない。さて、その後しばらくたってから別室に呼ばれ、今度は若い男性の審査官に、内容的には先ほどと同じ話を答えてから入国が許された。もう正午過ぎになっていたか。アンマンから国境までは、四十キロ程度しか離れていないのだけど。