Weekend Note

2010年ブログ開設。日常、建築、旅行などについて書いています。

ヤド・ヴァシェム(イスラエル、ヨルダン旅行記 13)

9月21日 午前

ぱっちりと目が覚め、八時半に朝食をとりに食堂へ。中庭に面した二階の小さな食堂では、すでにテーブルを囲んでいたグループから「あなたもどう」と声をかけられ、ロシア人の女性、ラトビア人の女性二人、それからフランス人の男性と一緒に腹ごしらえをする。

今日はまずトラムに乗ってエルサレムの郊外にある「ヤド・ヴァシェム」に向かう。イスラエル建国の父と言われるテオドール・ヘルツルの墓地のある「ヘルツルの丘」の西側に立地し、ホロコーストの博物館をはじめ、資料館や教育施設が建ち並ぶ。ちなみに、旅行から帰ってきた直後にイスラエルのペレス元大統領が亡くなったが、その国葬が執り行われたのもこのヘルツルの丘だ。

ホロコーストの博物館は素晴らしい建築だった。

丘の上から谷の方向に向かって長いプリズム上の建物が地下に埋め込まれていて、そのメインギャラリーの左右に展示室が配置されている。展示の進行とともに、少しずつ谷の開けた自然に向かって歩を進めていくという趣向だ。ユダヤ人(の迫害)の歴史について、反ユダヤ主義の広がってきた十九世紀頃をはじまりとして、時代を追って展示が進む。世界各地に離散していたユダヤ人コミュニティの生活や文化の紹介や、大戦に突入していくヨーロッパの時代背景など、かなりの分量だ。そうしていわば外堀を埋めたうえで、後半はホロコーストヘブライ語で「破壊」を意味するショア―の展示に入っていく。内容は数値データから感覚にうったえるイメージ、強制収容所経験者の証言ビデオまで多岐にわたる。中でも強制収容所の巨大な白い模型は圧倒的な迫力で、ガス室送りにされる人間の行列までが精緻に制作されていた。

展示の終盤、床の踏み心地がそれまでのコンクリートから柔らかなカーペットに変わって、おや、と思うと、「名前のホール」と呼ばれる円筒状の展示室に導かれる。そこはホロコーストで命を失った約六百万人のうちの約四百人の顔写真が、見上げる丸い壁の周囲一面に貼られた空間だった。この圧倒的な数の、それでも全体からすればほんの一握りの犠牲者の肖像、肖像、肖像。一人一人の顔と目を合わせていくうちに、彼ら彼女らの一人一人が皆、誰かの子であり親であり友人であり、あったのが、「理由もなく」その命を奪われていったことに心底そら恐ろしい気持ちになる。そしてまぶたに涙が込み上げてくるのを感じる。

ぐるぐると何周も回った末「名前のホール」を出ると、最後にメインギャラリーの突端の、谷に突き出た屋外の展望台に至る。ここでしばし谷の自然の景色を眺めたのち、左に折れて中庭へ、さらに敷地内の散策へと導かれる。展示ルートが丘の自然の散策の一部に組み込まれている、その経路のデザインが秀逸で、ショッキングな展示を目の当たりにして重苦しくしんどくなった気持ちが徐々に和らげられていく。このデザインでなければ、訪れる人の精神はかなり辛いものになったままだと思う。外は暑くてからっとした気候で、木の匂いがして、ちょっと真夏の信州みたいだった。