Weekend Note

2010年ブログ開設。日常、建築、旅行などについて書いています。

三種の疲労(イスラエル、ヨルダン旅行記 16)

9月22日午後

イスラエル博物館から新市街に戻り、午後は一昨日と昨日に続いて、三顧の礼ではないが旧市街へ向かう。今日の目的地は新市街から旧市街を挟んだ反対側に位置するオリーブ山で、旧市街がよく見下ろせるスポットだという。

旧市街をくねくねと通り抜け、城壁の南外側沿いの道を歩いていく。オリーブ山は旧市街から谷を挟んでいるので、道のりは地図上の距離よりもはるかに遠い。一歩一歩疲労が確実に蓄積されていく。南の方角の遠くには、あの国際世論で悪名高い分離壁とおぼしき巨大な灰色の構造物も見える。ようやくオリーブ山のふもとにまで着くと、イエスが祈りのため頻繁に訪れていたとされるゲッセマネの園があるので入ってみる。オリーブの木が並ぶ、こぢんまりとした綺麗なお庭だった。キリスト教最大の聖地である聖墳墓教会よりも素敵なロケーションと感じたが、一方は祈りのために選ばれた場所、もう一方は処刑のために用意された場所なので、考えてみれば当然の感想とも思われる。さて、オリーブ山に登ろうとするも、見上げれば頂上の見えない長い長い急坂がそびえている。すでにふもとに着くまでに疲労困憊していたので登山は断念して引き返すことに決める。

無念の思いでとぼとぼ帰途を歩いていたが、オリーブ山に登ってどうする気だったかと顧みると、単にイケてる写真を撮りにいくのだという下心が動機として大きかったと思う。けれど、きょうびそんな写真はイメージ検索に任せておけばいいじゃないか、最近ますます強く抱くようになってきていたそんな思いが、はっきりと意識化される。一般的な観光客が撮りたがるポイントを外して、少しでも独創的と呼べるような対象に焦点を合わせる楽しさをだんだん覚えていきたいと思う。この気持ちに至るまでずいぶん年月がかかったものだと、少々情けなくはあるものの、人それぞれペースがあるということで…。そういえば、僕にとってはイニシャルが同じこともあり好きな画家の一人であるマグリットは「物見遊山の旅」を嫌っていたらしく、エジプトでクフ王のピラミッドを見たあとの感想は「こんなものだと思っていたよ」の一言だったという。いいスタンスだなぁ。

それにしてもこの疲労はどうしたことだろう!大げさに言って行き倒れしてしまいそうというか、これまで経験したことのない類の疲労を感じる。それで、城壁沿い、西日を真正面から受けるので帽子のつばが顔を完全に覆うくらいの角度に下ろしてほとんど足下だけを見るように歩きながら、この疲労について考えてみた。

その結果。心の疲労、頭の疲労、体の疲労に分けられると気付いた。心技体ではなく、心頭体です。日本語にある(他の言語はどうなのだろう?)心技体という分類は的確ではないと常々思っていた。頭(頭脳)はなくてよいのだろうか、スポーツなど見てもそれがかなり重要な要素ではないかと。そこで、三種類という収まりのよさのために、「技」を「体」に包含させるとして、心頭体という分類をまず考えた。そして、エルサレムの特に旧市街周辺は、この三種の全てに対して負荷を強いるまれなる場所なのだ、だからこそかつてないような疲労を感じているのだ、と考えた。心に対しては、闘争や軽犯罪へ巻き込まれないようにという警戒。頭に対しては、狭い中に極度に集中した民族ごとのエリアや史跡への反応。体に対しては、段差の多いすり減った石畳の迷路や、強い西日。

宿に戻ったころには息も絶え絶えだったが、疲労を分析して言語化できただけでもずいぶん気分が楽になっていてありがたい。夕方以降はとにかくだらだらしようと決める。いつどこでもこれが一番のリフレッシュ、欧州サッカーのハイライト動画を延々と視聴する。