Weekend Note

2010年ブログ開設。日常、建築、旅行などについて書いています。

工芸とデザイン

十一月四日の金曜日に休みをとり、土日にかけて金沢へ二泊三日の旅行に出発。昨年の三月までは東京からだと遥か遠くの地との感のあった金沢だが、新幹線の開通はやはり劇的な変化で、あっという間に着いてしまった。早速、金沢21世紀美術館へ向かう。あまりに有名な建築なので、「公園に建っている円形の建物で…」といった概要は省略するけれど、見事に実現されている開放性や透明性、そしてお客さんたちの自由な振る舞いには感銘を受けた。

深澤直人さんの監修による企画展「工芸とデザインの境目」が興味深かった。どこまで意図的に書いているのかわからないような不思議で複雑な導入の文章によると、
「果たして工芸とデザインに境目はあるのか。今回はその境界を見出そうと試みた。まずは展示室の中心に一本の線を引き、その線の左側を工芸の領域とし、右側をデザインの領域とした。線上に置かれるものは工芸ともデザインとも取られるものである。この線から両側に遠ざかるほどより工芸的であり、よりデザイン的ということである。」
さらに続けて工芸とデザインの違いを定義するために考えられるいくつかの基準、例えば手作りか機械か、素材は何か、等々が語られるが、
「同意もあれば異論もあるだろう。」「ともあれ…」
と、いささか煙に巻かれたような締め方がなされている。

さて展示室に入ってみると、予告の通り各部屋の中央に線が引かれ、その左右あるいは中央に物が置かれている。外見は全く同じお椀でも木地に本漆のそれは工芸で合成樹脂にウレタンはデザイン、コカコーラのガラスボトルは相対的に工芸でアルミ製ボトルはデザイン、タイプライターは工芸的だがMacBook Proはちょうど中心に位置し、石垣は言わずもがな工芸でコンクリート打放しの壁はデザイン、といった具合。いわゆる美術作品ではなく、既にある物を切り口の妙によって配置していくタイプの展示だ。(もちろん、企画展の合間や後に、別のインスタレーションにも出会える。アニッシュ・カプーア、レアンドロ・エルリッヒ、ゲルハルト・リヒターイスラエルにいたジェームズ・タレルも。)

工芸かデザインかはどっちでもいいとか、みな両方の側面を持っているとかいうもっとも論に逃げ込まずに、工芸的とデザイン的の比率についてきっぱりと判断を下しているのが清々しい。厳密に決められるはずがないのは百も承知だが、仮説としてでもやってみる。そんな自作自演、屁理屈の応酬、堂々巡りによる時間稼ぎの末に、何か新しいものや普遍的なものに触れられる瞬間が訪れるのではないかという、ある種の賭け。そうした試みには敬意を感じる。

この種の一見不毛に見える取り組みとして、唐突ではあるがバカリズムのネタを思い出した。マルチな才能を備えたこのピン芸人は、「子供がプロ野球を見ていて抱くであろう素朴な疑問に答える」という重要な仕事に、フリップネタにより挑戦している。

阪神の選手たちはなぜ縦縞のユニフォームを着ているの?という疑問には、草原において天敵である肉食の動物の目をくらますためだと回答し、日本ハムの栗山監督はオスなの?メスなの?という「子供が当然抱くであろう疑問」には、オスの栗山監督はたてがみがついているので僕たちが普段目にしている栗山監督はメスなんですと教えている。栗山監督の性別が男性であるという事実は踏まえつつも、この世界観ではメスなのだと言い張る。それを聞く僕たちは思い出すのだ、普段親しんでいる世界観は、実はさしたる確証があって成立しているものではないということを。そしてここまで思い出すと、工芸かデザインかという二分法も、その都度ある世界観を構想することに他ならない行為であると気付くのだ。ならばここで、この企画展を見終わって誰しもが抱くであろう疑問に向き合わなければならない。

日本ハムの栗山監督は工芸なのか、デザインなのか。

21世紀美術館の企画展以外の場所も回り、兼六園の雪吊りを眺め、金沢城のお堀沿いを歩き、夕食の蕎麦を頂きながら思索を巡らしたが、僕は今年のプロ野球はほとんど見ておらず、判断のもととなる知識が絶対的に不足しているので無念の保留となった。少なくとも、「二刀流」というワードに惑わされて工芸とデザインの両方に置くという安易な解答は避けたい。