Weekend Note

2010年ブログ開設。日常、建築、旅行などについて書いています。

片山津温泉へ

長い下り坂を降りたところで、潟に面して広がる片山津温泉にたどり着く。日曜日のお昼時だというのにまるで人気がなくひっそりとしている。さびれてしまった温泉街なのだなと聞いてはいたけれど、目の前に現れた風景は予想を少し上回っていた。何はともあれ谷口さんの設計による「総湯」へ。廃業となった旅館の跡地に、地元の人たちも観光客も利用できる、街の再生のための拠点として数年前にできた温泉施設の建築だ。潟沿いの遊歩道との接続など上手く処理されている。建物内の温泉は海に面した「潟の湯」と、陸側に新しく作られた森に面した「森の湯」が一日ごとに男女入れ替わる方式で、この日は男が「潟の湯」だった。短い旅の最後、やや荒れ模様の潟の水辺を見下ろしながらゆっくり湯につかる。近所にお住まいとおぼしきおじさんやおじいさんたちも悠然と入浴している。

そうして温泉は気持ちよかったのだが、その後に一息つける場所が、設計の技術だけではいかんともしがたいほど小さいことがとても残念だった。さほどデザイン性が高くなくとも広さだけはたっぷりあったガーラ湯沢草津温泉が懐かしく思い出された。(にしても、みんなで行った草津は楽しかったなあ。長い歳月が流れて銃殺隊の前に立たされるはめになるときも、アウレリャノ・ブエンディア大佐は僕たちより長湯の女子三人を待ちながらのむヨーグルト750mlをゴクゴク飲む友人を眺めていた、あの一月の草津の湯あがりラウンジを思い出すに違いない。)

お蕎麦の昼食を食べてから加賀温泉駅に戻り、列車で金沢へ、そして新幹線で楽々と東京へ帰る。車内販売が通りかかったとき、
―ビールが来ましたよ
隣の席の、夫婦あるいは家族で北陸に旅行した風のおじいさんに話しかけられ、僕はビールを買わなかったけれど、話しかけられた流れで、おじいさんのちょっとした身の上話など聞くことになった。彼は伊豆の修善寺にずっと住んでいて、長年トラックの運転手をしていた。日本全国を走り続けてきたので、特に本州と四国の道はほとんど知っている。瀬戸大橋などの連絡橋がなかった時代は六時間ほどフェリーで移動するので、乗船してすぐにお酒を飲み、上陸した頃に酔いがさめるようにしていた。家に帰るのは土曜日だけ、他の日はトラックの中での寝泊まりだった。夏には一週間の休みをとり、子供達を自家用車で好きな所に連れて行った。
―あなたは東京でサラリーマンですか?それが一番いいですよ
―はは、そうですか
一番いいなんてことは断じてなかろうとお互い知っていながら、しかし他意もなく、まったくの社交辞令とも無意味な挨拶とも言い切れない。それは目と声に明らかだ。これもまた何かに対抗するため、バランスを保つための、よき時間稼ぎなのだろう。