Weekend Note

2010年ブログ開設。日常、建築、旅行などについて書いています。

軽犯罪

ある写真家の作品を見にギャラリーに行ってみたら、写真は綺麗だったし、また、隣で開催されていた画家の展示も魅力的だった。そして、ギャラリーの空間自体も、ホワイトキューブの展示室とタイル敷きの通路の切り替えとか、床置きで天井を照らす無造作な間接照明器具など、何気ないけれど上手くデザインされていて、居心地がよいなと思った。

後からそのギャラリーが青木淳さんの手がけたものであると知って、さすが青木さんと納得するとともに、非常に嬉しい気持ちも湧いてきた。なぜならば、「誰が作ったか知らないけれどこの場所が好き」という第一印象をしっかりと味わったうえで、さらにその場所が作られた背景を探っていくという、滑らかな移行の感覚を経験できたから。

作家の多和田葉子さんがエッセイで、訳者名が記されていない電子ブックに対して「これは翻訳者というものを大変重視しているわたしにとってはほとんど軽犯罪である」と書いていてクスッとさせられたことがあった。今回のギャラリーに関しては、逆に、せっかく油断して気楽に足を運んでゆくのに事前に建築家の名前や設計意図など知らされたら、先の段落に書いたような大変重視している気持ちの流れをはなから遮断させられることになるので、僕はその行為を軽犯罪呼ばわりしたかもしれない。

案外、この二種の軽犯罪は世にはびこっているという気がする。重視するべき情報を提供しない軽犯罪と、要らぬ先入観をくれてしまう軽犯罪。実際、多和田さんですら、先のエッセイ集の別の箇所では、「シューベルトブルジョアの居間に閉じ込め、ギリシャ悲劇を教養文庫に閉じ込め」る風潮をやんわりと批判し、それを疑っていなかった自分自身を反省してもいる。こうした犯罪に巻き込まれなかった時には、何ともいえない安心感や開放感を感じて、なんだかとても嬉しくなるものだ。