Weekend Note

2010年ブログ開設。日常、建築、旅行などについて書いています。

悪や残虐

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7月中旬以降の異常な暑さには参った。下旬になってやっと一旦涼しくなったと思ったら今度は台風だ。おのずと室内で過ごすことが多く、ワールドカップも終わったので、また読書の時間も増えた。

中でもハンガリー出身の作家アゴタ・クリストフの『悪童日記』には鮮烈な印象を受けた。舞台は第二次世界大戦さなかと思われるヨーロッパで、小さな町の祖母の家に疎開に来た双子の少年の話。戦争により国土も人心も荒廃した世界で、一心同体の双子は独自の行動原理によって(それはしばしば非行や残虐行為ともなる)生き抜いてゆく。おばあちゃんと暮らすことになった子供、という点は『西の魔女が死んだ』と似た設定だが、その牧歌的な小説世界とは似ても似つかない。

この『悪童日記』を読んでいてはっきりと意識化されたのだが、自分の場合、長編小説に限っていえば、夏は悪や残虐がテーマの小説を求める傾向があるようだ。今回の『悪童日記』、さらにその続編も読み進めているアゴタ・クリストフの他、過去にはドストエフスキー中村文則がその代表格。一方、冬の季節には流れるようなエレガントな文体の作品が読みたくなるという気がする。過去には谷崎潤一郎ジェーン・オースティンアントニオ・タブッキなど。あまり小説や作家をラベル分けしすぎるのは良くないことであるが。

納涼怪談みたいな風習があるように、基本的には自身の内面と向き合う行為である読書なり物語体験なりが、実は外の気候にも大きく影響されていて、その相関関係や因果関係が科学的に証明されたら面白いと思う(自分が知らないだけで、もうとっくに証明されているのかもしれない)。少なくとも「夏は悪」という組み合わせは、かなりの実感を伴って自分の季節感を形成してきている。