Weekend Note

2010年ブログ開設。日常、建築、旅行などについて書いています。

クロノ・トリガー

暖かい日が増えてきて、インフルエンザの脅威も後ろに遠ざかった最近だが、花粉症か風邪によって少し体調を崩した。そこで家でゆっくりしていた休日、ある記事の見出しに「クロノ・トリガー」という言葉を見つけた。この名作ゲームが、PC版で配信開始されるというニュースだった。

風邪気味でエネルギーが弱っているときには新しいものを取り入れるよりも既知のものの価値を再確認したいという心理がはたらくのだろうか、自分も子供の頃にさんざん遊び、堪能したクロノ・トリガーが、ふと、強烈に懐かしく思い出された。だがそれどころか、わかっていたつもりだったが、考えれば考えるほど、1995年にスーパーファミコンのソフトとして発売されたこのRPGの比類ない完成度に感歎し、驚愕する思いが募っていった。

すでに巷で絶賛されつくしている感があるので簡単に触れるにとどめるけれども、ストーリー、キャラクター、音楽、どれをとっても非の打ち所がなく、さながら絢爛たる総合芸術のよう。そして今は、遊ぶ側だけでなく、作る側から ー 気取った言い方をしてよければ ー デザイン的観点からゲームを振り返ることができて喜ばしい。全体の大きな物語の流れからマニアックな細部まで、本当によく考えられ、作り込まれている。風邪で少しぼーっとする頭と身体をいたわりつつ、皿洗いをしながら、ころころで床の埃を集めながら、湯船につかりながら、クロノ・トリガーのプロットの構成の緻密さと大胆さ、キャラクターの個性を際立たせる工夫の数々、当時の技術的制約下でのシステムの組み合わせや変奏について、気楽に思いを馳せる楽しい時間を持てた。(子供の頃にここまで考えられたらよかったのかもしれないが。現在の仕事で馴染みのあるソフトウェアのリテラシーとも密接に関わる内容なので。)

しかし、20年が経った今は、「旅立ち!夢見る千年祭」のチャプターからもう一度プレイしたり、動画を見たりはしないほうがいいだろう。むしろやはり、ウィキペディア程度の限られた量の情報から、熱心に当時の子どもたちにどんな心情が喚起されていたかを想像すること。他のいくつかのゲームとも比較しながら、技術的な裏付けを自分なりに検証すること。そのほうが、思い出に浸る以上の、未来志向の姿勢がありそうだという気がする。クロノたちの冒険の映像そのものを今見ても、「あの日、あの時見た世界」が再現されることは決してないだろうから。