Weekend Note

2010年ブログ開設。日常、建築、旅行などについて書いています。

サヴォア邸 (2)

(今回は木内さんの受け売りも多く含まれているけれど、僕のバイアスがかかったものなので、ご了承を。)木内さんは「現象として見たい」と言う。それは視覚的、映像的ということになるらしく、誰でも建物の細部を気付く・気付かないに関わらず見ているので、それがどう作用するのか、何とか語りたい、と。

例えばテラスから撮ったこの写真の、細い煙突めいた部分。あれは実は柱なのだ。建物を支える機能的は何もないのに、なぜ突き出ているのか。

次に浴室を仕切るボックスの小口。写真では伝わりにくいが、明らかに奇妙なディテールで、まるで神殿のような正面性が与えられている。ただ通り過ぎる場所である以上の性格を持たせたがっているように見える。前回の記事の完結性という言葉を使ってもいいかもしれない。同じようなモチーフがそこかしこに見つけられる。

まだ続けようか。この建物の中では柱が厚かましいくらいの存在感があるが、四角かったり円かったりする。細いのもある。また、必ず右回りに迂回するような動線計画が施されている、云々。隅々まで丁寧にデザインされている心温まる建物ともまた違う。「一日訪れただけではでは処理できない」「気が狂いそうだ」と木内さん。

意味の過剰というのだろうか。それがどうしたと、誰だって思う。僕だって思う。建築家のマスターベーションに過ぎないかもしれないし、不毛な深読みに終わるかもしれない。本を調べれば誰かが説明しているかもしれない。けれど、一度知った以上は頭を悩ませてみるべきだろうと思う。なぜコルビュジエはこんなことしたのか。なんとなく自分なりの見当はつけているけれど、まだまとまっていない。

ところで、また別の次元で、コルビュジエのメディア戦略もある。小さな写真でも見栄えのする外観。そしてサヴォア邸に着せたキャッチフレーズの数々に至ってはいまいましいほどだ。「住宅は住むための機械である」「近代建築の5原則」「建築的プロムナード」「明るい時間(les heures claires)」。もちろんこれらの言葉がサヴォア邸の本質を言い当てているとの信頼はあるが、実物にはもっとすごい量の情報が詰まっている。

かくしてル・コルビュジエが、僕の中で偉大な建築家であると同時に不気味な存在になってきている。