Weekend Note

2010年ブログ開設。日常、建築、旅行などについて書いています。

緑にまつわるエトセトラ

去年の夏学期にランドスケープデザイナーの石川幹子先生のスタジオ課題をとったのが最初のきっかけだと思う。石川先生のエスキスからは、都市工学やランドスケープの観点からのロジックがあることを感じたが、でもそれが自分の中でうまく消化できないまま課題が終わってしまった。
去年の悔しい思いがスタージュにつながっている。というかつなげたい。これはどちらかと言えば意地だ。

また、感銘を受けた建築は、外構がちゃんと整えられていたと、いつのころからか思っていた。今回ヨーロッパで色々な建築に行ってもその傾向は続いていて、ピアノもシザも、OMAのカーサ・ダ・ムジカも、外部空間にまでよく心が払われている。一方、フランスに君臨しているジャン・ヌーヴェルを好きになりきれない理由のひとつは、実際に訪れてみるとどれも外構がいまいちだから。

留学前から『新建築』の連載記事で、現代フランスの都市デザインではランドスケープ・アーキテクトの役割が大きいとの知識を得ていたが、実際にパリや他の街を歩き回ると納得がいく。
そもそも、公園や遊歩道のようないかにも近代の発想で作られる場所を都市の中に組み込もうとし、滑らかにつなげようとするのはとてもヨーロッパ的だ。こっちにいる間にそれを生活の中で享受するだけでなく、デザインする側に少しでも身を置いてみたい。


しかし、2月に旅行したイタリアの、都市の中核部分は石で囲みつくし、緑とふれ合うのは外側でという構造も、フランスと同じかそれ以上に面白い。パルマ、ローディ、ヴェネツィアなどでは、まとまった緑地と呼べそうな場所はことごとく、ミッキーの耳のように周縁部にくっついている印象だった。また、街並みはあれほど美しかったヴェローナも、その割には河岸はそっけなかった。
でも、イタリアは街中に緑がなくてやだワ、とは感じない。むしろ、前近代的なメンタリティを何食わぬ顔で引きずっているようで面白い。