Weekend Note

2010年ブログ開設。日常、建築、旅行などについて書いています。

いろいろな横断

ワークショップの最終発表のあった夜の懇親会では、立ち位置的に篠原修先生と話す機会に恵まれた。景観の分野に多大な貢献をした偉い先生、という程度の知識しか恥ずかしながら僕にはなかったが、短い時間でも色々と考えさせられる会話になった。

まず建築教育について聞いてみたら、
「学校を出たら実務の仕事ができる分、土木よりはましなのでは?」
と答えてくれた。たしかに、篠原さんは景観について分析だけでなく実務にまで落とし込んだ人だと僕は理解している。今回土木の学生と一緒にワークショップをしてみても、建築から見ればいつまでもあーでもないこーでもないと議論ばかりしているように感じた。もっとも、土木の学生からすると、建築の人たちは見た目にばかりこだわってる、となるだろう。

一方、日本で建築がまだまだ社会的に受け入れられていない、期待されていない、愛されていないのは、
「いや、それは建築教育が悪いんだと思うよ」
…これはまだ自分の中で噛み砕けていない。どこがどう悪いのか。ちなみに、内藤さんも前々から「今の建築教育は間違っていると思う」と公言している。


その内藤さんを土木の先生に呼んできたのも篠原さんであるが、
「内藤さんのような(建築と土木を横断する)考えを持つ人は意外に少ない。…(とある別の有名建築家について)たまたま近くで仕事をして、あの人は結局自分のことしか考えてないとよく分かった」

それを受けて僕は
「その人については僕もそう思いますが、、、学生たちもそんな建築家像には物足りなさを感じていて、その雰囲気はなんとなく共有されている気がします」
と答えたのだが、どうだろう。


いずれにせよ、分野を横断する考え方が今後ますます必要になってくるのは間違いないだろう。パリでの経験を振り返ってみれば、カトリーヌのランドスケープデザイナーとアーティストの境界を意識的に狙っているような姿勢は印象的だった。彼女の作品集のタイトルは‘traversees’(トラヴェルセ=交差)だし、何度か参照していたマヤ・リンも‘Boundaries’という題の美しい本を出している。

根無し草になっては困るのでまず建築をちゃんとやらねばだが、僕のこれから一年半の修士での研究や論文も、そういった横断を意識していたいと思う。篠原さんも「伊藤先生か。いい研究室選んだね」と言ってくれたからね。