Weekend Note

2010年ブログ開設。日常、建築、旅行などについて書いています。

南三陸町 1日目


今年の5月の連休は、4日から6日の2泊3日で、東北へのボランティアツアーに参加している。一年前に弾丸ツアーのボランティアに参加して以来の東北だ。細々とでも自分なりに定期的に被災地の状況を見ておきたいと思った。今回はバタフライエフェクトというNPOの主催しているもので、宮城県南三陸町の漁業を手伝うという内容。料金は約3万円。

参加者は総勢40名ほどで、宮崎から参加している女子大生や、町田に住むおばさんと中学生の息子もいれば、リタイアしたおじさんもいる。皆それぞれに何かしら思うことあって来たのだろう。4日の朝7時半にマイクロバス2台で東京を出発。奇しくも、僕の普段通勤しているオフィス街(特に晴れた日の昼の時間帯に街を闊歩するビジネスマンの自惚れ顔は見物だなあと常々思う。自分もone of themなのだろうけど)のすぐ近くからバスが出た。そうして東京のオフィス街に背を向けて東北に向かうという構図はなにか象徴的なものを含んでいる気がする。

午後3時頃に現地に到着。今日は作業はせず、スタッフの方々の案内付きの現地視察だ。当時の児童100人ほどのうち約70人が亡くなり、廃校になった大川小学校。20メートル以上のこの高さまで津波が来たのだと説明を受けた戸倉地域の高台。鉄骨の骨組みだけが残った南三陸町の防災対策庁舎。昨年に東松島市を訪れた時よりも頭での理解は深まったがと思うが、心での実感が深まった言うことはとてもできない。民家の建ち並んでいた地域が消滅してしまった場所などに立つと「被災 」という単語ですらしっくりこずに言葉を失う。

自分達は東日本大震災が起こって以降、最初期に社会に出た世代ということになる。望むと望まないとに関わらず、あの出来事が起こって当時の若い人達が何を考えたのかといつまでも言われ続ける覚悟はしなければならないと、改めて思った。

と、今日はやや硬い文章になったけれど、明日以降のことは作業の内容を生き生きと素描できるといい。