Weekend Note

2010年ブログ開設。日常、建築、旅行などについて書いています。

ボルヘスとボルヘスとわたしとわたし

前2回の記事で書いたように、苦労する日々が続いている。仕事ではある人とはコンビネーションよくスムーズに仕事ができるが、またある人とはなかなか信頼関係が築けないまま時間だけは多く仕事に割かなくてはならないという状況。自分の適応能力がまだまだなのかもしれない。慢性的な睡眠不足で体調が万全でないなか、デザインの楽しさを感じる瞬間をつかまえて日々をしのいでいる感覚だ。

さて、ネガティブな内容はこのくらいにして、、、建築の専門的な知識だけではいい設計はできない、という当たり前のことを毎日の仕事で改めて実感している。


見当違いな問いに律儀に応えてしまうことほど不毛なことはない。


とはチリの建築家アレハンドロ・アラヴェナの言葉だが、今改めてこの言葉を噛みしめながら過ごしている。会社の人たちの設計の進め方を見ていて、エネルギッシュな仕事ぶりに感嘆することが多い一方で、「そんな些細なことより、もっと大きなコンセプトを先に議論し、考えた方がいいのではないか」と思うことが多々ある。


ではどうすれば見当違いでない正しい問いを設定する能力が身に付くのか。それが分かれば苦労はないのだが、僕の場合は読書が好きで、日常生活の中でも、あの著者ならこう考えるのではないか、あの小説のあの登場人物ならこう言うのではないか、とよく考える。だから自分なりには読書を通して物事を多角的に見ることや発想の柔軟さを磨いていきたいと思っていて、毎日少しずつでも読書の時間をとりたい。ところが現実的にその時間がなかなかとれない。そこで白羽の矢を立てたのが、ホルヘ・ルイス・ボルヘスの詩だった。

今は長いものを読むまとまった時間はとれないが、詩ならこま切れにされた時間のすき間を埋めるようなスタイルで読める。そして、ボルヘスの作品なら、2分も時間があれば読者の常識―時間や空間の観念とか、自分と世界との境界などについての―を無効化してしまうのに充分だ(『伝奇集』を初めて読んだときの衝撃は今も忘れられない)。毎日数分間は、ボルヘスのわけのわからない世界にゆっくり浸かり、読み始める前とは少しだけ違った気分になって現実に帰っていく。もっとも、もはやどっちを「現実」と呼ぶのかもわからなくなってくるのだけど。