Weekend Note

2010年ブログ開設。日常、建築、旅行などについて書いています。

ふたたびの武蔵野

去年、修士論文でさんざん向き合い、格闘していた武蔵野地域を、その時とはまた違った気分で愛でられるのはとても嬉しいものでして、国分寺殿ヶ谷戸庭園の紅葉の色の重なり。

もうすぐ研究室のOB会が開催されるということもあって、自分にとって修論とは何であったのか、を最近おぼろげに考える。内容的には、玉川上水と分水を軸としながらも、他の要素、例えば街道などもより積極的に絡めて近世の武蔵野地域の形成現象を書ければなお良かった。これは提出当時から分かっていたことだけれど、やはり悔いが残る。

そして、修論への取り組みの全体について何にもまして思うのは、自分の今後歩むであろうキャリアを少なくとも短期的に考えれば大して役に立たないに違いないことがらに、よくもまあ時間をかけてかけてかけていたものであるなあ、ということで、殿ヶ谷戸庭園の「紅葉亭」からの眺めに庭園回遊の歩みを休めながら、心の中では昨年の自分を穏やかな呆れ顔で眺めるのだった。

帰りの中央線で新宿に着くまでくらいの間に日が暮れていく情景も懐かしかった。しかし翌日、すなわち今日、武蔵野との因果関係の有無はわからないものの、昨年にしばしば感じていた、「身体のサイクルに何かが足りない」みたいな頭痛がして低調な一日になったことはいただけない。今に始まったことでもなければ昨年に始まったことでもなく、今終わることでもなければ来年終わることでもないのだろうけれど厭。厭。