Weekend Note

2010年ブログ開設。日常、建築、旅行などについて書いています。

熊高生諸君(その2)

(前回の続き)
さて、接した高校生たちの印象となると、大袈裟に言って熊本や日本の将来が少し心配な気持ちになったのだった。しかし、あくまで第一印象。

先月に突然この東大研修(東大志望の高校生ばかりではないのだが、こう呼ぶらしい)の話が来て以来、今の高校生はどんな感じなのだろうと、実はけっこう楽しみにしていた。担当の物件の高校には毎週のように訪れているが、生徒と話をする機会は基本的に無いし、やはり出身高校の生徒となると自分を振り返っての比較もできるだろうと。約10年前からネットはますます発達し、震災も経験して、今の高校生は僕らの時とは全然違うことを感じ、考えているのではないか。そこから現れるイキの良さ、生意気さ、またストレイシープ感があるのでは、あってくれと期待していたのだった。

しかしながら、実際に話をした彼らは、ただただ大人しく、そして子供っぽいという印象なのであった。立ち居振る舞い、会話の間合い、そうした事柄から受けるいわゆる印象ですね。他の社会人の方々も大体同じような印象を持ったらしいので、僕が話をした生徒たちだけでなく、集まった数十人の全体的な傾向として、そうだったのだろう。僕としては「こどもこどもしている」という表現がしっくりきた。

かくして、まだ文系と理系にも別れていない高校生たちを自分の期待の鋳型に当てはめることは叶わず、当初はその叶わなかったことばかりに気を取られていた。けれど数日経った今では大分心境も変化している。まずもって、自分が他人にぶいぶい自慢できるような高校生活・大学生活・今の生活を送って来た・送っているとは特に思わない。それに、人のことを言う前に上手く話ができたかもわからない。再び書くが、「こんな感じでよかったのでしょうか」という気持ちでいっぱいだ。

また、彼らにしてみれば突然東京に来て、よくわからないビルの一室に連れてこられて「完全アウェー」の状態でもあっただろうし、限られた時間の中で見知らぬ大人にすごい好印象は与えなかったというだけの話(けれど、就職活動の面接とかってその短時間で決まったしまうからやはり怖い)。このあたりの、その人のごく限られた一面を見ているにすぎないという意識から生まれる気楽さは、少し前に平野啓一郎の「分人」という概念について書いてある本を読んで、だいぶ深まったと思う。人間の身体は、なるほど、分けられないindividual。しかし、、、