Weekend Note

2010年ブログ開設。日常、建築、旅行などについて書いています。

誕生日のあれこれ

先月8月は近しい人が誕生日であることが多かった。その中の一人は8月上旬生まれなのに名前に「秋」の漢字があり、一瞬なぜだろうと思ったが、立秋だからということだったようで、なかなか味わい深い名前だと思った。そんなこんなで今回は誕生日について不思議に思ったことをば。

まず、僕は今までに誕生日が不明という人に会ったことがないのだが、考えてみるとそれは少し不思議なことではないかとふと思った。世の中の人口に対して誕生日が正確に分かる人がどれくらいなのか、詳しい知識は持っていない。また、少し調べてみると、誕生日が不明の場合の戸籍上の誕生日は決め方があるようだ。しかしながら、どの人に対しても「誕生日」があってアタリマエと思って接していた自分を発見して(もちろん不必要に「悲しい過去」を空想することなんて明らかに変だが)何か釈然としないような気分にはなったのだった。

次に、誕生日はなぜめでたいのか、考えてみるとよくわからない。そもそも生まれたことが嬉しいことなのかという、太宰治を読みたくなるような気持ちは、いいだろう、ひとまず置いておく。しかし実際に自分がその日に生まれたことの記憶があるものでもないので、もはや自分の目や耳では確かめようのない日が自分の最も重要な日とされている不思議さ。「一年間無事に生きられておめでとう」という意味なのでは、という意見も読んだことがあり、なるほどと思ったが、まだ完全にはしっくりきていない。

話は発展するような飛ぶようなだが、同時多発テロ東日本大震災は、なぜ9.11や3.11という日付で呼ばれるのだろう。歴史的事実を捉えるならまずは年をおさえるのが普通なはずだが、それ以上にエピソディックな、生々しい具体的な経験として記録するという意識が僕らの中にあるのだろうか。時が経てばやはり2001年や2011年という年号が前面に出てくるのだろうか。