Weekend Note

2010年ブログ開設。日常、建築、旅行などについて書いています。

パワーのあれこれ(ニューヨーク、ボストン旅行記 5)


旅行に出る直前の時期にたまたま本屋で雑誌を立ち読みした中に、ニューヨーカーの週末のお出かけ先として、自然豊かなハドソン川上流(ハドソン・バレー)が人気だと書いてあった。なるほど、ニューヨーク旅行といえばマンハッタンや最近トレンドらしいブルックリンが思い浮かぶが、より広い◯◯圏や◯◯系もできれば見ておいたほうがよいだろう。という結構な真面目な意識から、ハドソン川上流の地域にも足を伸ばしてみた。

本当は野外彫刻博物館に行きたかったのだが生憎休館日で、ネットで探しあてたハドソン川にかかる橋'Walkway over the Hadson'とその周辺のトレイルが手軽そうだったので、行ってみた。ニューヨークからハドソン川を北上する方角に電車で2時間程度の小さな町の駅から向かうというアクセス。はるばる行ったわけだが、結果から言うといまいちだった。川幅0.5マイルというハドソン川の上空を渡る体験は悪くはないが、周囲はとりわけ風光明媚というほどでもなく、おまけに天気も曇り気味。町も何の変哲もない小さな町で、全体的に薄い印象に終わってしまった。

とはいえ、負け惜しみではなく、旅行先の国や地域のいたって平凡な風景を見ることも、それはそれで大事な体験ではないかと思う。「どこにでも人はいて、生活があるのだな」と実感できるから。自分のささやかな経験を振り返ってみても、僻地にある建築を見に行ったときなどに、同時に名前も覚えていない町や匿名の風景を(それが目的ではなくとも、またブログや他の人との会話の中でもなんとも扱いづらく、ましてや写真に収めようなどとは思いもしない風景だとしても)見て回ったことが大きな滋養になっていると感じる。

そういうことを考え出すと「旅の価値とは何か」みたいな話になっていきそうで、そこまで畏まった話を書きたいのでもないけれど、たとえば思い出すのは川上未映子さんがとあるエッセイの中で書いていたこと。昨今流行りのパワースポット巡りなるものについて、もう十分パワーに溢れているように見える人たちが「いや、まだまだ」「大金払ってツアーを組んで、ガンガンパワーをもらいに行くぜ」と日本から地球の裏側まで行ってしまうような風潮に対する違和感を書いていた。確かに、消費の対象としての感動が生むパワーではない、それとは別種の、おそろしいくらいに平凡な風景を巡ることが生み出せるパワーだってあるのでは、と思うこの頃だ。