Weekend Note

2010年ブログ開設。日常、建築、旅行などについて書いています。

そんな言葉だけではとても済ませられない

1月23日の夜、引越し先のアパートの部屋で段ボールの荷ほどきをしていた途中、なんとはなしにスマホフェイスブックを開いたら、ある知り合いが結婚の報告をアップしていた。簡単な文章と、結婚式の写真が数枚。僕はその人の近況を把握せずにいたので、突然の知らせに最初はぼーっと驚いているばかりだった。が、外国の教会での慎ましくも明るい式の様子を見るにつけ、また、幸せの自然な発露としての落ち着いた報告の文面を反芻するにつれ、あとからあとから、とめどなくよろこびが湧いてきた。

おめでとうございます、とコメントしようとまず思い浮かぶも、いまいち、なんというか、ぐっとこん。とりあえず形式的な挨拶の文句を贈ればよい相手もたくさんいるけれど、そんな言葉だけではとても済ませられない相手もいる、長らく会っていなくとも。なので、慌ててリアクションすることは今回は控えて、それよりも、無意識の時間のちからも借りつつ、全力全愛のぐっとくる言葉なおかつスッと伝えられる言葉を探してみることにする。家具の設置や荷物の整理など、引越しのなんやかやを進めながら…。そうして探して、こんなところかな、と納得できる言葉を見つけたときに、その人の今までと新しいチャレンジが僕自身をもとても強く励まし、肯定してくれているのだと、ふっと気付いたのだった。同時に、その励みと前向きな気持ちの瑞々しさが、新鮮なような懐かしいような不思議なよろこびを満たしていることにもまた気付いたのだった。

以来ずっと、身体のしんから仄かな暖かさに生かされている気分。それはすぐに何事もなかったかのように止んでしまうのだろうけれど、あくまで何事もなかったかの「ように」であって、現実にはたしかに何事かはあったのであって、それが起きる前とはたしかに違っていて、戻れないというか、戻らなくてもいいんだというか。新しい近所の静かな夜を、少しだけ走って一回りしたくなる。

状況は常に変化し続けなければならないだろう。