Weekend Note

2010年ブログ開設。日常、建築、旅行などについて書いています。

天国

帰宅ルートのなかに面白い道がある。最寄り駅から商店街を通り抜けた先、道幅が広くなり、緩やかにカーブしつつ、賑やかさの余韻も残すようにお店が点在しているところ。行き来する人の数は多いけれど、歩道がない。かといってあまり建物の間際を歩くのも心持ちが良くない。その微妙あるいは絶妙な按配にさらされて、歩行者も自転車を漕ぐ人も、なんとなく車道の中央部分近くにまでバラけて通りをゆく。自転車の高校生3人組なんて、横一列に1メートルくらいの間隔を空けて悠々とゆく。たまに通りかかる自動車からすると迷惑な状況だろうが、我ら交通的弱者にとっては、広い道を占領しているみたいでなかなか気分がいい。「ルーズな歩行者天国状態」という言い回しを思いついた(もっとも、これは一にも二にも安全を謳う警官などの眉を顰めさせる、キワどい感覚かもしれない)。

すると、歩行者天国という言葉が気になりだした。他に「天国」という言葉が含まれている一般名詞が思いつかない。電子辞書の広辞苑第五版をひいても、やはり歩行者天国だけだ。ちなみに固有名詞では、清代、1851年、宗教結社上帝会の洪秀全が建てた「太平天国」があった。次にウィキペディア歩行者天国の由来を知ろうとするが、「呼称の由来は不明」「1966年に既に朝日新聞でこの名称が使われている」程度で要領を得ない。さらに英語で何と呼ぶのかを調べてみると、`pedestrian precinct` や `vehicle-free promenade` など。日本語にある天国という意味合いは、英語には無いようだ。

そんなことを調べたり考えたりしていたら、「ルーズな…」を歩きながらウォークマンで聴いていた曲に「君に最終的なquestion 何処に存在するかheaven?」という歌詞があることに気付いて、ゾクっとした。自分が好意的に感じたからといって、此処に存在する、なんておめでたい答えはもちろん持てない。また、世にあるホコテンだって一体どれほど天国的なのか、客観的に測る尺度をしっかりと手中に収めてみたい。…こんなふうにして、工学的な問題が、詩によってある種の気付きを与えられることもある。