Weekend Note

2010年ブログ開設。日常、建築、旅行などについて書いています。

込めすぎた思い

新宿駅南口の甲州街道沿いにオープンしたばかりの「バスタ新宿」に行ってきた。線路上空に巨大な人工地盤を積層して作られた交通ターミナルで、西口方面に分散していた遠方へのバス乗場やタクシー乗場を集約したものだ。工事の困難は想像を超えるものがあっただろう、それについては後々じっくりと確認したい。

そしてバスタに連結する「ミライナタワー」は、商業施設やオフィスの複合した高層ビルで、賑わいとか交流とか緑とか女性とか、まちづくりの最高善とされているものをぜんぶ具現化してやろうというそのモティヴェーション、ガッツ、貪欲さががんがん伝わってきて、とてもすごいことです。

ところで、主観の範疇とは思うけれど、「ミライナ」という名前はどうなんですかねえ…あまりに白々しくて、今こうして書いてみてもこっぱずかしい。僕の独断と偏見では、大都市の中心部の大規模開発によって誕生するビルには、清音だけの爽やかな名前が付けられることが多いように思う。ミライナの他、ヒカリエ、ソラマチ、キッテ、ホトリア、ハルカスなど。大規模開発の暴力性や犯罪性を漂白しようとしたかのようだ。一方、ベッドタウン等のファミリー向けの施設には、ザ行の音が混入される。すなわちラゾーナ、マークイズ、キッザニア二子玉川ライズ、そして、たまプラーザ。建物そのものは安っぽい施設に過ぎない場合も多いところを、なんとかして楽しげに演出しようとする努力の痕跡を、濁点に見てとることができる。

いずれにせよ、公明正大な思いが込められた名前の周囲に何やら漂う企みがちらついて落ち着かない。だから、先に挙げた名前のどれかが、たとえばマイナーな言語で卑猥な意味を表す隠語だったりしたら、俄然味わい深くなるのに、などと考えてしまう。あるいは、名付けた人がその高邁な正義感を徹底して、まさにペットの犬にNO WARとでもメッセージ性の強い名前を付けていれば、それはそれで納得いくだろう。話は飛ぶが、第一期の安倍首相の掲げた「美しい国」が、逆さから読むと「憎いし苦痛」であるというのは、僕のお気に入りの事実だ。

とまれ、名前というものは「そもそもの意味がすっかりとれてしまった純粋な名前になった状態」が、到達点として幸せなのだということを、いま僕たちは完全に知っているし、これからも忘れないでおこう。そうした観点からも、建築学科の同級生に「キング」がいてくれたことはありがたい。先日の集まりには残念ながら来られなかったので、またの機会に。