Weekend Note

2010年ブログ開設。日常、建築、旅行などについて書いています。

今欲しているものは

どうも最近はちょっとした思考や文章の流れや構成がよろしくない。たぶん原因は焦りすぎていることなのだろうと思う。忙(せわ)しない仕事のリズムに身体や頭が生活全般にいたるまで巻き込まれてしまい、目の前の一事一事、一語一語を丁寧に積み上げていくことができなくなってきている。段取り、手順、次の予定。半ばそうしたことを考えようとするあまり、基本的なこと−たとえば文章でいえば、いつ・どこで・だれが・なにを・どうしたという情報の記述や、主語と述語の関係、助詞の用法など−がおろそかになっている。いまいち気が散漫になっている。これは相当なまでに本末転倒、ああまさに本末転倒だ。時間はこのままどこまでも細かく切り刻まれていき、この国において日常的に最も頻繁に耳にする形容詞「忙しい」の深くにはまり込んで抜け出せなくなるのだろうか。

ゆっくりと過ごす時間が、もっと具体的に言えば、目的も打算も何もなく、ただゆっくりと人と会話する時間が必要だという気がする。この「目的も打算もなく」という心持ちになることが、いつの間にか困難になってしまったようだ。でも過去を振り返ってみると、今まで会った人たちの中に何人か、そんな時間を提供してくれていた人は確かにいる。彼らは穏やかで、自分の好みや趣味をしっかりと持っていて、それを他人にあえてひけらかすことにはさほど関心がない。しかしこちらが時間をかけて、好意を持って尋ねれば、きちんと言葉で表現する手間をかけたうえで、ひとつひとつ返事を返してくれるような人たち。もっとも、何も特別なことをしているようには見えないし、話の内容がとりわけ鋭く独創的というものでもなかったので、不思議だなあといまだに思う。友人とも知人とも括りづらいそんな人たちが無性に懐かしい近頃だ。今の時期はたまたま自分の周りにそういう面で惹かれる人がいないのか、それとも、実はいるのだけれども落ち着いて話をできる機会がないのか…。きわめて日常的な会話のやり取りからなにか目の前がゆっくりと開けていくようなあの感覚を身体がすごく欲している。