Weekend Note

2010年ブログ開設。日常、建築、旅行などについて書いています。

丸一日がたつ(イスラエル、ヨルダン旅行記 9)

9月18日

たんと十二時間寝て、気分は回復している。電子機器の電源を入れ、エルサレムの新しい宿の予約確定メールが届いていることも確認する。それから日本のカード会社に電話して、一時的に引き上げていた利用限度額を、念には念を入れてさらに引き上げる手続きをして安心だ。ホテルの朝食の席は一階の庭に用意されている。塀とパーゴラにより外の道路や直射日光から適度な距離が確保された屋外席は、涼しい風が通り抜けて実に気持ちがいい。そしてスタッフの人たちの屈託のない親切ぶりも嬉しい。パンやサラダをいただきながら、ホテルで飼っているのか出入りしているのかわからないが人懐っこい猫の写真をスマホで撮っていると、スタッフの人が笑顔で近づいてきて
―写真を撮っていたのかい?
そうだよと答えて写真を見せると
―おお、かわいいね。いやぁ、さっきアラブ人のお客さんは猫をすごく嫌がっていたんだけどね、僕にはなんでかわからなかったよ。こんなにきれいなのにね。君は日本人かい?君やヨーロッパ人のお客さんは猫をかわいがってくれていたから、君をリスペクトするよ
なんてやりとりをして、旅行の気分もノッていけそうだなと思ったので猫ありがとう。旅行のメインは後半のイスラエルなので、前半はアンマンでゆっくりしよう。

今回の旅程の中で最も気がかりだったのはヨルダンからイスラエルへの国境越えで、ガイドブックやいろんなブログで調べてみても、イスラエル側の警戒態勢が厳格であることもあり、交通の接続やら入国審査やらの難易度が非常に高いと評判(悪評)だった。そこでアンマン実質初日のこの日は、まず国境へ行く高速バスの乗り場にタクシーで下見に行ってみることにする(アンマンには鉄道系の交通機関はなく、タクシーや乗り合いタクシーが主な足である)。ホテルから十分くらいの道のりだったが、車窓からアンマンの街のつくりを目の当たりにしていきなり驚く。いくつもの丘が連なる起伏が壮絶な土地、その東西南北、丘の上から下までが建物で埋め尽くされている。極めて高密な都市だ。そして地形に合わせて曲がりくねった道を自動車が濁流のようによどみなく流れている。ちなみに日本車もかなり多く見られた。

広場、と訳されていても実態は広大な駐車場であるアブダリ広場の近くにある高速バスの乗り場に隣接したオフィスに着き、二日後のキング・フセイン(国境)行のバスのチケットを買おうとすると、ザハ・ハディドを若くしたような風貌のカウンターの女性から、キング・フセイン行きのバスは朝七時発で、チケットの前売りはないので当日六時半に来るように、と指示された。

その後は、谷筋が合流する地点に位置するアンマンのダウンタウンにむかって、二キロほど歩いて下る。道路が歩道が、つまり街が、絶え間なく流れ続ける自動車と歩行者の戦いといった様相を呈している。多くの人から心配された中東の情勢うんぬんよりも、単純な交通事故に遭う危険のほうがよほど大きいのではないかと思える。アンマンのこうした地形や道路事情の特徴などは強いて言えばイタリアのローマに似ている。しかしアンマンはさらにワイルドで、「読めない」という鮮烈な刺激に満ちている。なにせ街で見るのはアラビア語ばかり。また、なぜこの場所は突然空き地になっているのか、建設中なのか廃墟なのか、この修理工場めいたガレージは稼働しているのか、街の人たちは朝起きてからどんな暮らしをしているのか。旅行先としてたしかにこれはレベルとハードルが高いわ、とおののきとも興奮ともつかぬ心持ちがすっかり定着しつつダウンタウンに着く。

中心のアル・フセイニ・モスクやスーク(市場)の周辺の、多くの人出でごった返している地域を歩く。混沌としたスークを人を分け入るようにしてさまよっていくと、日本でなじみのあった日常とは遠く離れたところにある確固とした世界を肌で感じる心地がする。それは特に香辛料や水たばこの入り混じったアラブ特有の甘い匂いに端的に表れている。一方、自動車を除けば、いわゆる資本というものの存在感が希薄だ。テイラーもワン・ダイレクションも、それに類する音楽も聞こえてくる気配もない。レアルやバルサ、アナ雪をあしらった看板や商品をちらほら見かけたくらいか。ダウンタウンを一回りした後は、急坂や階段を登って丘の上へ出てみる。すると静かで落ち着いた街並みとなった。その中の一軒のカフェ・レストランに入って二階のテラス席に腰をおろし、手の込んだアラブ風のサンドイッチとコーラを昼食にいただきながら、ヨルダンに到着して丸一日が経ったんだなあと感じ入る。時差ぼけで疲弊しきっていた当初のコンディションからここまで心身盛り立てられて、これは普通の面白い休日と大差ないですな、とにわかに余裕綽々な気分にもなったりした。

午後は丘の上のレインボー通り周辺を、日なたは暑いので体力の消耗を防ぐべくゆっくりと歩く。具体的には通常一歩の歩幅が50センチのところを40センチくらいにおさえ、足の回転も遅くすることを心がける。高いところにハイ・ソサエティが形成されるのはアンマンも例外でないのか、落ち着きがあり洒落たカフェや服屋さん、雑貨屋さんなどが点在している。そのまま歩いてホテルに帰り着くころには、アブダリからダウンタウンを経て丘の上へ、大きく平仮名の「つ」の字を書くように長くゆっくりと歩いてきて、アンマンの街も全然手に負えなくはないな、と小さな自信を得られていた。よかったなと安堵しつつ、コンタクトを外して庭でぼーっと過ごしたりした。