Weekend Note

2010年ブログ開設。日常、建築、旅行などについて書いています。

平和と安全(イスラエル、ヨルダン旅行記 10)

9月19日

昨日と同じくホテルの庭で朝風に揺られながらの朝食をきめこみ、身支度をして出発。今朝は黄色いタクシーではなく白い車体の乗り合いタクシー(セルビス)に挑戦する。アンマンでは街の人の英語が覚束ないこともあるので筆談用の小さなメモ帳が大活躍した。運転手さんにAmman Downtownと見せれば「OK、乗りな」と。昨日とは丘の反対側をぐるりと回るルートをたどり、アル・フセイニ・モスク付近で降ろしてくれた。

今日はローマ劇場とアンマン城を見て回る。まずはローマ劇場へ。崖といってもいいような丘の急斜面を客席として利用した六千人収容の大劇場で、オランジュヴェローナのものにも劣らない迫力だった。およそ西欧的あるいは近代的な理性による都市計画といったものが感じられず、「生きられた建築」で埋め尽くされているような特徴の強いアンマンの街―それが魅力でもある―において、幾何学的な構築の力をはっきりと顕現させているのはやはりローマ遺跡なのだった。続いて、向かいの丘の上のアンマン城へ登る。アンマンの街を四方八方見渡せる丘の上に、ローマ神殿や、イスラムのモスクや都市施設といった遺跡が残っている。昔日の夢の跡に風が吹き抜けていく爽快な場所だった。

再びダウンタウンの喧騒に下りていって、地元の人たちで賑わう安くて早くてうまい食堂で昼食をとる。そして今日もアブダリの高速バスのオフィスへ向かい、翌日のチケット購入にトライ。昨日はチケットは当日しか買えないと言われたが、担当者によって言うことが変わるという可能性もあるので。アブダリまではまた白い乗り合いタクシーを利用する。最初は僕一人で乗車したのだが、途中で二人連れの女性がタクシーを止めて乗り込んできて、数百メートルだけ進んで降りていった。バスのオフィスに着くと前日と同じザハ的女性が窓口担当で、「当日の六時半に来るように」と同じ指示を繰り返されてしまった。こうしてチケット購入作戦が空振りに終わった後は、ダウンタウンからは数キロ離れたニュータウン的なエリアに移動してみる。ショッピングモールが建ち並ぶ一帯がここにあったのか。アラビア語で書かれたスターバックスの看板が新鮮で思わず店内に入る。(もっとも、ここ数日来アラビア語を不思議がってばかりいるが、考えてみれば日本に来た外国人だって日本語について同じかそれ以上に面白おかしく思っているだろう。文字が何種類もあり、縦書きと横書きのバリエーションまであるのだから。)暑いので冷たいドリンクが欲しかったのだが、指示したメニューがことごとく売り切れだったのでペリエを頼み、通りに面した席について休憩する。名所も回ったし、地元の料理も食べたしと、午後二時半にして今日の目標は大体達成の安心感がはじける。

それからは一旦ホテルに戻って昼寝をし、ダウンタウン近くの見晴らしの良いお店まで出かけて夕食の美味しいアラブ料理をがっつりと食べる。翌日は朝一でアンマンを発ち、緊張の国境越えだ。部屋での荷造りや、フロントの受付の人と明朝のチェックアウトの段取り確認、アブダリのバス乗り場までのタクシー手配の依頼などで夜を過ごす。受付の男性は「おお、お帰り。日本の友よ」などとフレンドリーに挨拶してくれるナイスガイで、ヨルダンは日本車が多いことなどから親日的なのだと話してくれた。アンマンで最後の寝床に入るころには、ニューヨークでは爆発があったようだし、エルサレム旧市街はちょっと荒れているというし、実はアンマンが一番平和で安全なのではという説が自分の中に急速に浮上してきていた。もちろん実際にはそんなことはないとしても。