Weekend Note

2010年ブログ開設。日常、建築、旅行などについて書いています。

04. Super Danish

「スーパー・デニッシュ」という言葉は、建築雑誌「エーアンドユー」の2012年10月号のタイトルで、デンマークの若手建築家が活躍している状況を表したもの。その定義とは必ずしも一致しないが、この記事ではデンマークで見た建物を写真付きで簡単に紹介します。 

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まずはデンマークモダニズム建築の巨匠アルネ・ヤコブセン。しかし、今回は縁がなかったというか、他の予定におされてあまりじっくり見られなかった。写真は海岸リゾート地のベルビューの、おなじみの監視塔や集合住宅。

 

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オペラハウス。コペンハーゲンの運河沿いのランドマークとして、日を経るにしたがって愛着が増していった。

 

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王立図書館。通称“ブラック・ダイヤモンド”。シンボリックな外観。加えて、エントランスを入って吹抜け中央の動くスロープを登り、まっすぐ進むと道路をまたいで既存館に導かれる、そんな空間構成もユニーク。

 

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有名な円形の学生寮。開放的なキャンパスの環境に建っている。残念ながら中には入れず。

 

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IT大学。構成は明快で、平面的に中央から吹抜け、ミーティングスペース、廊下、教室群が並ぶ。吹抜けに部屋が飛び出すデザインがダイナミック。エレベーターに乗ると、成熟した雰囲気の二人の男子学生(?)が「ドメインプログラムが問題なのであって…」「そうなんだよ。だからさ…」みたいな話を交わしていた。

    *    *    *

なお、特に印象の強かった二人の建築家ーヨーン・ウッツォン、ビャルケ・インゲルスーについては、それぞれ単独の記事で取り上げることにしたい。

03. Walking Messi Trip

2008年9月、大学3年生の夏休みに1か月間、フランスとスペインに初めての海外一人旅に行った。今回のデンマーク旅行はそれからちょうど10年となる。この間、自分にも社会にも実に多くの変化があった。しかしリオネル・メッシは10年前から世界のトップで活躍し続けている。当時、バルセロナにある色んな国々から来た若者でにぎわうユースホステルのラウンジの画面が、退団したロナウジーニョの跡を継いで10番をつけてプレーするメッシの姿を流していた。2018年の9月、デンマークのバス車内の無料の新聞は、メッシのハットトリックを一面で伝えている。

そんなメッシもプレースタイルは変化し、近年は試合の時間のほとんどを歩いて過ごし、ここぞという決定的な場面でのプレーに注力する傾向がある(ただし「散歩」の時間はただ歩いているのではなく、ゲーム全体の状況をスキャンしているのだという)。要するに力の入れどころを見極める、めりはりをつける、ということなのだが、なかなか示唆に富むスタイルでもある。学生時代にはとにかく体力の続く限り初めて訪れる地での街歩きをがんばり、しかしどこかで力尽きる、ということを繰り返していた自分の旅も、「走らないメッシ」の方法を最近は積極的に取り入れようとしている。疲れたらすぐに止まる。食事はしっかり。移動は余裕を持って。量より質。横着になったのをあれこれ理屈をつけて正当化しているわけでは決してない、と自分に言い聞かせながら。そもそもが真面目すぎた。

また、言葉通りの意味でもコペンハーゲンはゆっくり歩くのに適した街だった。長袖で歩いてちょうど汗をかかないくらいの気候。都市のつくりも平らで歩道は広く、世界に先がけた歩行者天国として名高いストロイエのみならず、市街地の古い道から運河沿いの再開発エリアにいたるまで歩行者空間が良くネットワーク化されている。歩きやすくて、疲れない。素晴らしい建築物も多いのだが、その上段のアーバンデザインやランドスケープが非常に進んでいる。流行歌の歌詞のように、どこまでも歩いていける気がするのだった。「今日は初日だからずっとストロイエからアマー島や運河を歩いたよ。ずっと平坦で歩きやすかった」夕方アパートに帰ってセリーヌに言うと、おそらく人の上に立つ素質のある彼女は、即座に「でしょう!」と全面肯定してくれた。

そして、デンマークは自転車大国でもある。歩道と車道の間の自転車レーンを、始終、本格的な自転車に乗った市民が流れてゆく。電車にも自転車を持って乗り込める。古くからの文化なのか、環境問題や健康への関心の高まりに伴って自転車を重視した都市デザインが整備されていったのか、そのあたりの起源はわからないが、行き交う自転車がコペンハーゲンの街の風景をとても生き生きしたものにしていることは明らかだった。自分は今回は乗る機会がなかったが、ぜひ次回以降は Cycling Messi Trip を実践したい。

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02. Not Missing Heels

デンマークは物価が高く、ホテル代も高いので、初めてAirbnbを活用してみた。コペンハーゲンに8泊するうち、4泊と2泊は別々のAirbnb、最後の2泊は中心部のホテルに泊まった。

最初の4泊お世話になったアパートのホストのセリーヌは、事前にやりとりしている中では、当日コペンハーゲンにいるかわからないと伝えてくれていた。異国の街で一人、他人の家で暮らすのだとしたら、多和田葉子さんの日本デビュー作「かかとを失くして」のような体験となる。話のタネとしては面白そうだが、やはり現地の人が家にいてくれた方が心強い。そんなことを考えつつコペンハーゲンの空港に着くと、結局セリーヌは家にいる、ただ僕が着く時刻にはちょっと外出しているだろうと連絡が来た。

アパートはコペンハーゲンの中心部から北に数キロ離れた住宅街のノアブロというエリアにあり、空港からメトロや電車を乗り換えて夕方に到着。郵便受けに入れておいてくれた鍵で4階の家の中に入ると、3DKの十分な広さのお家だ。最上階なので、屋根の斜めの形が天井に現れている。僕は個室ひとつを使ってよく、キッチンとシャワー室は共用。

さっそく近所の様子を見ようと外出すると、どうやらノアブロはムスリムの人たちも多く暮らす移民街のようなところで、(こう言ってよければ)有色人種の人たちが行き交い雑然としている。旅行前に周りの人たちから聞かされた、おとぎの国のようだというデンマークのイメージとは違っていて少し戸惑った。が、身の危険を感じるようなことはないし、都市の様々な側面を見られるのは良いことだ、シメシメとすぐに意識高く気持ちを切り替えることにした。スーパーで食料品を買い込んだところ、買い物袋を持っておらず、パンと2リットルの水をそのまま手に持って帰ることに。日本の感覚で買い物をして、迂闊だった。家に戻るとセリーヌも帰宅していて、挨拶する。すらっと姿勢がよく、スポーツ好きの気さくな女性だ。

次のAirbnb宿のアパートも、1キロしか離れていない近所だった。ただこちらの方が閑静な住宅街というエリア。ずいぶんと雰囲気が違う。ホストのクララとニールスもこれまた人好きのする性格で、チェックインの段取りなどもずいぶんマメに連絡をくれた。旅行の後半になるころには、コペンハーゲンに関しては、それほどかかとを失くしはしなかったようだ、と思っていた。

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01. Sumimasen Class Flight

9月15日から23日まで、8泊のデンマーク旅行に行ってきた。気候は快適、街はきれいで便利、そして人も皆親切にしてくれて、良い旅となった。自分の記録のために、少しずつ記事を書いていきたい。

とはいえ、この記事ではまだデンマークには到着せず、特別何があったわけではないのだが、飛行機の話である。成田からコペンハーゲンまでの直通便のエコノミークラスで10時間ほど。海外旅行も長距離フライトも久しぶりで、ずいぶん長く感じた。

飛行機については人それぞれ思うところがあるがろうが、僕としては、何よりもまず単純に一人当たりのスペースを広げてほしい。最低でも新幹線や特急列車くらいにまでは。さらに今回、往きの便では通路側の席ではなかった。つまり、トイレに立つときの「スミマセン」を10時間の中でどう配分するかに神経をすり減らせることとなった。

「飛行機に乗っていると言えば聞こえはいいが、実際は見知らぬ人たちと空中で椅子に縛りつけられて捕虜になっているだけではないか。」(多和田葉子アメリカ 非道の大陸』)

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国際線でトイレに立つと、各席に映っている画面が一度に見渡せる。これは非常に面白い、現代か何かを象徴している光景だなぁといつも思う。誰もが互いに視線を交わすことなく、目の前の画面に注意を注いでいて、ある画面ではスパイが活劇を繰り広げ、またある画面では儚げなヒロインが病室のベッドに横たわり、その隣のスポーツチャンネルでは決勝ゴールにスタジアムの歓喜が爆発している、といった具合だ。着陸する空港は便宜的に同じであろうと、乗客の皆それぞれが違う目的地に向かって、てんでばらばらに生きているのだと実感する。それを孤独を感じることもあれば、気楽に感じることもある。

デンマークへ

来週末から遅めの夏休みをとって、一週間デンマークに旅行に行ってくる。2年ぶりの海外旅行だ。

デンマークは、自分で調べても、行ったことのある人たちから話を聞いても、いたって安全で平和で快適なようだ。そして一般の人には馴染みが薄いかもしれないが、傑作建築の宝庫でもある。今のところ順調に準備が進んでいるが、先ほど気付いたことには、これまで自分は海外旅行で旅程の最初から最後まで宿が予定通りに泊まれたことは一度もない。今回も、少なくとも一回は二回のトラブルがどこで来るか…。

ここ数日は衣服類を再確認したりしながらも、旅行直前の妙な手持ち無沙汰からか、家の整理、いわゆる断捨離がやたらとはかどったりした。旅とは思わぬ影響を日常に滲ませるものだなあ。

TIMELESS / タイム / タイムレス / ノー・タイム

先の月曜日の夜、東京ではけたたましい雷が続いた。自分は幸いにも帰宅していたので、月でも見物するかのように窓を開けて雷の鑑賞をきめこんでいたが、ひっきりなしに続くあまりの轟音におそれをなして、家の三つの窓を全て閉めた。

ウォルター・デ・マリアの「ライトニング・フィールド」を一度見てみたいと思っている。これはアメリカの平原1マイル×1キロメートルの範囲に400本のスレンレス鋼のポールが整然と並んだランドアート作品。大学の先生の一人が、きわめて人工的で幾何学的なアートを挿入することで自然の環境を巧みに炙り出していると称賛していた記憶がある。今まで自分は勝手に、ステンレスのポールに雷が落ちることを意図したアートだと勘違いしていたが、ネットの情報によると「実際に雷が落ちることはまれである」。

ウォルター・デ・マリアの別の作品は、直島の地中美術館で見たことがある。写真で紹介されていることも多い「タイム / タイムレス / ノー・タイム」だ。天井から光を採り入れた大階段状の部屋の中央の踊り場に直径2メートルを超える巨大な花崗岩の球が据えられ、両側の壁面には黄金色に塗られた祭壇のような彫刻が並んでいる。どの時間にも属さない永遠性のようなものを感じさせる稀有な空間だった。

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『TIMELESS』 は、作家の朝吹真理子さんの新作長編小説。芥川賞受賞以来7年ぶりの長編小説で、たぶん多くの読者が待ち望んでいた刊行だ。雷の日の翌日、その朝吹さんと歌人の小佐野彈さんの二人によるトークイベントを聴きに行ってきた。大型書店のカフェ兼イベントスペースに数十人のお客さんが集まっていた。小佐野さんは今回初めて知ったのだが、オープンリーゲイで、しかし声高に怒りを表明するようなアクティビストでもないという、批評精神と諦観の入り混じったような姿勢がとても興味深かった。

そして朝吹さん。端正な容貌もさることながら、その佇まいや立居振舞い、落ち着いた声や話し方から醸し出される知性と優雅さはほとんど驚異的で、しかも話の内容も機知に富んでいて緩急自在。1時間半ほどのトークを通してにこやかに穏やかに小佐野さんの話にうなずきつつ、その同じ口から時たま、どこでそんな知識を仕入れたのかと思うような博物学の話題や、この人の目を通したら日常はこう見えるのかと驚くしかない飛躍した喩えがとびだしてくる。なお、朝吹さんと小佐野さんは偶然にも小学校時代からの知り合いで、文通をしていた時期もあったのだとか。

数日後、『TIMELESS』の最初の10ページほどを読んでみた。聞いていたとおり、また以前の作品とも似て、次々と脈絡なく文章が流れていく。非常に独特な作風なので誰にでも気楽に勧められるものではないふが、一貫性や統合に対する強迫観念からまったく自由に、ぐにゃり、ぐにゃりと文章や場面が変幻してゆき、それで一つの作品世界を屹立させてしまう朝吹さんのつくり方には畏敬や憧憬の念を抱く。ご本人はトークイベントの中で「統合…苦手ですねぇ」みたいに苦笑いされていたけれど。

後輩たち

なぜか7月に入ったあたりからクライアントからの作業の依頼が増加し、お盆もお構いなしという感じで舞い込んできて、どうしたものかという状況だ。そこで上司の方とも相談し、一年目から三年目の若い衆にも少しずつ作業を振ることにした。僕は彼ら彼女らの作った資料を指摘確認する立場になった。それは時間的には楽になったが、自分で作業するのとはまた別の大変さがある。意図をくみとったり、与件の見落としがないかを短時間で判断しなければならなかったり。内容によっては、そもそも自分の理解が浅いということもある。それでも、みな地力があって優秀。まだ入社4か月の新人の二人も飲みこみが早いし、二年目より上の人たちは一を聞いて十を知る。

そんなことがあって今さら、先輩後輩という関係が日常で生じるようになった中高以来、常に後輩には恵まれてきたと気付いた。能力的にはもちろん、上下関係を超えてサッカーのプレースタイルのファンであり、間近でプレーを見れて良かったという人も何人かいる。