Weekend Note

2010年ブログ開設。日常、建築、旅行などについて書いています。

TIMELESS / タイム / タイムレス / ノー・タイム

先の月曜日の夜、東京ではけたたましい雷が続いた。自分は幸いにも帰宅していたので、月でも見物するかのように窓を開けて雷の鑑賞をきめこんでいたが、ひっきりなしに続くあまりの轟音におそれをなして、家の三つの窓を全て閉めた。

ウォルター・デ・マリアの「ライトニング・フィールド」を一度見てみたいと思っている。これはアメリカの平原1マイル×1キロメートルの範囲に400本のスレンレス鋼のポールが整然と並んだランドアート作品。大学の先生の一人が、きわめて人工的で幾何学的なアートを挿入することで自然の環境を巧みに炙り出していると称賛していた記憶がある。今まで自分は勝手に、ステンレスのポールに雷が落ちることを意図したアートだと勘違いしていたが、ネットの情報によると「実際に雷が落ちることはまれである」。

ウォルター・デ・マリアの別の作品は、直島の地中美術館で見たことがある。写真で紹介されていることも多い「タイム / タイムレス / ノー・タイム」だ。天井から光を採り入れた大階段状の部屋の中央の踊り場に直径2メートルを超える巨大な花崗岩の球が据えられ、両側の壁面には黄金色に塗られた祭壇のような彫刻が並んでいる。どの時間にも属さない永遠性のようなものを感じさせる稀有な空間だった。

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『TIMELESS』 は、作家の朝吹真理子さんの新作長編小説。芥川賞受賞以来7年ぶりの長編小説で、たぶん多くの読者が待ち望んでいた刊行だ。雷の日の翌日、その朝吹さんと歌人の小佐野彈さんの二人によるトークイベントを聴きに行ってきた。大型書店のカフェ兼イベントスペースに数十人のお客さんが集まっていた。小佐野さんは今回初めて知ったのだが、オープンリーゲイで、しかし声高に怒りを表明するようなアクティビストでもないという、批評精神と諦観の入り混じったような姿勢がとても興味深かった。

そして朝吹さん。端正な容貌もさることながら、その佇まいや立居振舞い、落ち着いた声や話し方から醸し出される知性と優雅さはほとんど驚異的で、しかも話の内容も機知に富んでいて緩急自在。1時間半ほどのトークを通してにこやかに穏やかに小佐野さんの話にうなずきつつ、その同じ口から時たま、どこでそんな知識を仕入れたのかと思うような博物学の話題や、この人の目を通したら日常はこう見えるのかと驚くしかない飛躍した喩えがとびだしてくる。なお、朝吹さんと小佐野さんは偶然にも小学校時代からの知り合いで、文通をしていた時期もあったのだとか。

数日後、『TIMELESS』の最初の10ページほどを読んでみた。聞いていたとおり、また以前の作品とも似て、次々と脈絡なく文章が流れていく。非常に独特な作風なので誰にでも気楽に勧められるものではないふが、一貫性や統合に対する強迫観念からまったく自由に、ぐにゃり、ぐにゃりと文章や場面が変幻してゆき、それで一つの作品世界を屹立させてしまう朝吹さんのつくり方には畏敬や憧憬の念を抱く。ご本人はトークイベントの中で「統合…苦手ですねぇ」みたいに苦笑いされていたけれど。