Weekend Note

2010年ブログ開設。日常、建築、旅行などについて書いています。

イサム・ノグチの術中にはまる(イスラエル、ヨルダン旅行記 15)

9月22日午前

昨夜は遅くまでシオン広場の音楽が寝室にも響いていたが、いつしかしっかり眠りについていたようで、エルサレム三日目の朝も順調に起床。天気は相変わらずの晴天だ。午前はまず郊外にあるイスラエル博物館に行ってみる。どのバスに乗ればよいのか迷い、最初は行き先の違うバスに乗ってしまいすぐに降りたりしたが、筆談用のメモ帳を握りしめていたアンマンのタクシー拾いよりもだいぶ気は楽だった。どこに連れていかれようと、トラムの乗り場さえ見つかればすぐに位置がわかるので。

丘や坂道を上り下りしてイスラエル博物館に着く。広い敷地にいくつもの展示棟が建っている。死海文書館では指で軽く握るだけでぱさぱさと崩れてしまいそうな太古のヘブライ語の文書の断片が凄味を放っている。建物の外にある第二神殿時代のエルサレムの街を再現したジオラマは一周何十メートル以上もある巨大さで、見ていて飽きない。青年棟での現代アートの展示もクオリティが高くて期待以上。さらに、国家の威信を表現するミュージアムのご多分に漏れず広過ぎて冗長ではあったが、考古学棟やユダヤ芸術棟、美術棟なども、一回りしてみる。

そして、イサム・ノグチが庭園設計をした野外彫刻庭園の「ビリー・ローズ・アート・ガーデン」。谷を望む開放的な野外に、ピカソやムーアら芸術家たちの大きな彫刻が配されている。ジェームズ・タレルの「SPACE THAT SEES」は直島の地中美術館にある「オープン・スカイ」そっくりで、ここイスラエルでも四角くぺらっと切り取られた空が、いつまでもいたくなるような空間を演出していた。実際、だいぶ長い時間座っていた。そうして、庭園に足を踏み入れた当初は巨大な美術棟を歩いた後のかったるい疲労感が意識の大部分を占めていたのに、大きな彫刻やアートを巡っているうち、いつの間にかゆったり構えるような穏やかな心持ちになっていることに気付く。たぶんこれこそ、イサム・ノグチの狙いだったのだ。術中にまんまとはまった格好だ。おそらく地面を敷き詰めている、砂利よりも大きい石が決定的だと思われる。微妙に歩きにくい。それによって歩行を緩め、園内を巡る人の気持ちを沈静化させているのだろう。一通りの彫刻を見終わっても、なかなかどうして去りがたく、ゆっくり写真を撮ったりして時間を過ごす。

今回の旅行では、適宜スマホも使っていたが、主に「写ルンです」で写真を撮っていた。ネットの記事で最近ブームになっていると読み、十年ぶりに買ってみたのだった。そもそもまだ製造されていたことも驚きだ。いざ使ってみると、なるほど、枚数限定であるから一枚一枚、一押し一押しを大切にする意識がはたらくこと、撮った写真をすぐには見られないこと、廉価なので雑に気楽に取り扱えること等々、デジカメやスマホにはない長所を備えていることに気付かされる。しかも帰国してからデータ化して写真を見てみると、ネットでの評判通り、程よく粗いレトロな雰囲気に仕上がっていていい感じ。大学院の卒業旅行ではあえて一枚も写真を撮らないでみたり、逆に昨年の外国旅行ではスマホで手当たりしだいに撮りまくったりと、これまで旅行の写真撮影についてはなかなかこれといったスタイルを定められずにいたけれど、今回は写真についてようやくひとつのブレークスルーを得られた手応えがあり嬉しい限り。これに関連した内容は明日の記事でも書く予定。