Weekend Note

2010年ブログ開設。日常、建築、旅行などについて書いています。

素粒子を!(イスラエル、ヨルダン旅行記 19)

9月24日 午前

昨日はたしか十一時まで海辺のバーベキューにいたので就寝が少し遅くなったが、天国的な寝具で熟睡でき、九時に起床。朝食の会場は提携している隣のホテルとのことで、やはりディゼンゴフ広場を囲むバウハウス建築の佳作「ホテル・シネマ」でゆったり朝食をとる。それからチェックアウト、荷物を預けて出発。今日も天気は完璧だ。昨日の雨は一瞬のアクシデントだったのか。

午前はてくてく歩いてテルアビブ美術館を訪れる。刺激的な形態の現代建築の美術館を一回りして退出しようとすると、元気いっぱいの子供たちの声がエントランスにあふれていた。ミュージアムで溌剌と動き回る子供たち。これは外国旅行だからこそ見られる好きなシーンだ。美術館を出て、ビーチまで散歩してホテルのロビーに戻り、正午に飛岡と合流。

テルアビブの海辺から南に突き出た岬になっている旧市街のヤッフォへ移動し、岸辺のレストランで彩り鮮やかなイスラエル&アラブ料理をぱくぱく食べながら熊本の話などする。とはいえ、ノスタルジーに浸る内輪の話というよりは、情報や価値観の限られた田舎の生活実態をひとつまたひとつと論(あげつら)っていくような会話の作業だった。僕としては熊本への不満的な思い、特に通っていた中高周辺の、マンションやロードサイドショップが建ち並ぶだけの風景への失望が年々溜まってきていて、大学で東京に出てきた頃にはなんとか残っていた中高時代への郷愁も、それが実は頼れる自然と結びついたものではなかったがゆえにずたぼろにすり切れてきているのが、この四月に大地震に遭ってしまった土地のことを悪く言うのもなんだかためらわれてフラストレーションも溜まっていたのが、目の前の物理学者になった旧友は遠慮なく歯切れよくこの田舎の閉鎖的な気質をあばいていってくれるので、話していてとても溜飲を下げるような思いがした。しかもそのうえで心奥における郷土愛は失いも奪われもしていないようにも見えるのだった。

料理に満足し、ヤッフォの街を一回りしつつ話は続く。今度は地方都市を客観視するといった多少の知的態度が必要な試みではなく、嫌な同級生や先生への悪口である。たとえば高校時代には狭い格差社会の頂点としての運動部のリーダー的ポジションに安住していて、十年たった今でもそのノリとリズムで人に接しているように見え、直接やSNSの発言や態度で僕たちをいちいちいらいらさせる人について、飛岡は
「あいつの話はつまらない。ほんとにつまらない」
「高校で殿様になっちゃったよなあ」
と断罪。王様ではなく、滑稽味が加わるように殿様という言葉を選択するあたり、流石は悪口を言わせたら天下一品、悪の権化。いいぞ、その通りだ、と僕も快哉を叫んだ。まあ、僕たちにはまだこの先の人生の時間は長く残されていると思うので、この殿様との関係が良い方向に変化する可能性だって一応はあろうが、軽蔑されている当時の先生(敬称で呼ぶのも腹立たしいが)ともなると、現実的にはもう会うこともないだろうから、僕たちの中では、世界中のくだらなさをその身に集めて体現したような人物として永久的に記憶に残り続けてしまうかもしれない。ある意味恐ろしいことだ。

飛岡には聞き忘れたけれど、こうした性格、人格、人間関係の問題を素粒子の観点から解決できませんか。彼らの素粒子加速器に入れるとすごい変化が起きるみたいな…。全方位的に嫌われる人というのはいないだろうし、素粒子セラピーができなければそれはそれで諦める。