Weekend Note

2010年ブログ開設。日常、建築、旅行などについて書いています。

祖母の葬儀

先日、熊本にいる父方の祖母が亡くなった。息を引き取ったのは水曜日のことで、僕には熊本の実家の母からメールと電話で連絡があった。木曜日に通夜、金曜日に葬儀だという。木曜日の午後に熊本に着く飛行機をすぐ予約し、当日は午前中のみ会社で仕事をしてから羽田空港に向かった。

祖母はだいぶ年をとっていたし、もう長いこと具合が芳しくないことは帰省の際にも見ていたし、両親や親戚からも常日頃聞いていた。なので既に時間をかけて来るべき時が来ることを従容として受け入れてはいた。熊本に着き、葬祭場に入り、棺の中の祖母の顔を覗きこんだときは、悲しくはあれど、同時にその顔の安らかなことに安心した。

金曜日の葬儀は昨晩に遠方から到着した親類なども加わり、天候にも恵まれ、滞りなく進んだ。数日経った今こうして振り返ってみて、通夜や葬儀の様子をもっとしっかりと記憶に留められたのではないかと自分の迂闊さを思う部分もあるけれど、全体的には落ち着いて悔いなく別れをすることができたと思う。祖母には子供が多く、すなわち僕にとってはおじさん、おばさん、いとこが多く、久しぶりにあった親戚と話をしたり、いとこの小さな子供たちと遊んだりもできた。

祖母は僕が物心がついた頃はもう悠々と暮らすおばあちゃんと映っていたが、ずっと家庭に仕事にと頑張ってきたらしい。翻って自分を省みてみれば、 子供の頃から大体の時期において座礁しかけの船のようなものであるので、このように生きる力をそなえた祖母を持てたという事実には勇気づけられることも多い。中学校の時に熊本に引っ越してきてからは祖母が身近な存在となり、大学で熊本を離れてからも、帰省の際に祖母の家へ行って何時間かゆっくりと話をしたり、近所の美味しいお店で食事をしたり、豊かな時間を与えてくれた。

祖母は90年をゆうに越える天寿をまっとうし、それによって家族や親族のそれぞれの間に、互いの健康を気遣ったり、遠方にありながらも故郷を思いやったりという素晴らしい気持ちを生み出したのだと思う。そういう気持ちというのは、きっと永遠に残るものだ。