Weekend Note

2010年ブログ開設。日常、建築、旅行などについて書いています。

ヒッキー完全漢字

以前にも少し書いたけれど、自分は幼少期に習いごとでバイオリンを強いられていた経験から、心の中の、音楽を素直に楽しむための器官に深い損傷を受けた。それはほどんど取り返しがつかないもののように思われ、音楽にとどまらず自己肯定感の全般的な欠如にまでその影響が及んでいる気がする。それでも、他の人への教訓のためにも習いごとに関して自分が経験した辛かったあれこれ(メディアに出る例ほど極端ではないだろうが…)についてある程度オープンにしながら、その傷を自覚し、受け容れ、これから長い年月をかけて少しずつ音楽を楽しめるように再生していきたい。今年になってやっと、はっきりとそういう意識にいたった。音楽そのものが素晴らしいものであることは頭では十分に分かっているので、希望もなくはない。

なので、2016年に活動を再開して以降の宇多田ヒカルの健在ぶりはとても嬉しい。ところで、遅ればせながら最近知ったことには、名前の「ヒカル」は、本名の「光」をカタカナにしたもので、漢字表記と同じ画数であるらしい。画数が同じことまでは知らなかったので、へぇーと思い、言葉や字に対する優れた感性を持っているのだなと思った。それをヒントに僕は、漢字とカタカナ読みで画数が同じ漢字を勝手に「完全漢字」と名付け、いろんな漢字がそれに該当するかどうか、あれこれ探す習慣がついた。なお、完全漢字というネーミングは、数学の用語「完全数」を参考にしている。

完全漢字については、まとめられているサイトなども見当たらず、自分で探していくことに。なくはないが多くもない。光(ヒカル:6画)の他には、文(フミ:4画)、丘(オカ:5画)、凪(ナグ:6画)、走(ハシル:7画)、炎(ホノオ:8画)、泉(イズミ:9画)、思(オモウ:9画)、彩(イロドル:11画)などがあるようだ。

不思議なことに、こうして挙げてみるといい漢字ばかり。あるいはこれこそ表意文字の真骨頂で、どんな漢字でも思い入れを持って眺めると好ましく見えるものなのか。いずれにせよ、言葉のアニミズムの実に力強い例を発見した思いだった。かと思ったのも束の間、男(オトコ:7画)は完全漢字で、女はそうではないと気付き、男尊女卑を助長する発想だと受け取られてしまうかもしれないと焦った。あわてて誤解を解く説明を探したところ、まさに宇多田ヒカルの歌詞の中に「僕の言葉の裏に他意などないよ」というぴったりの表現があった。やっぱり彼女は天才だ。

日本代表の件、アルゴリズムなど

1か月ほど前にサッカーには色々な種類の面白さがあるという話を書いたが、まさか日本代表がワールドカップの舞台で、サッカーにはこんな珍しい事態も起こるのだという例を示すことなるとは思わなかった。

勝つための戦略か、アンチフェアプレーか。この境界は正解のない問題なので、ポーランド戦終盤の日本のパス回しを批判する人がいることも判る。ただ自分としては、あの状況下では最も決勝トーナメント進出の可能性が高い現実的な選択だったとして「悩ましいけれど賛成」という意見だ。時間稼ぎの戦法はサッカーではよくあることだし、グループリーグの最終節での消化試合や談合試合も起こりうること。今回の日本代表の件はそれらに加えて、他力本願の状況下での時間稼ぎだったこと、勝利の結果は得たいポーランドとの利害の一致、セネガルとフェアプレーポイントで争っていたことなど、レアケースがことごとく重なった結果、異様な光景が生み出された。

いずれにせよ日本は決勝トーナメントに進んだ。対戦国のベルギーはその実力とシチュエーションからいって、日本のワールドカップ史上最強の相手だと思う。日本人としては日本を応援したいが、いちサッカーファンとしてはアザールやデ・ブライネのプレーを大会の最後の最後まで見たい気持ちも大きい。楽しみだ。

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最近、会社で後輩の新入社員二人にボリュームチェックの一般的な手順を教える機会があった。まず敷地条件として、行政によって定められている用途地域容積率などの都市計画与件の調べ方を、それこそ本当にイロハのイから教えるのだが、初めての彼らは覚えることがたくさんあって大変そうだ。ところで、同じ日の夜、たまたま 3x2+2x+1=0 という二次方程式を見かけて、まったく解き方が思いつかなかった。あるいは思い出せなかった。高校生の頃なら、お笑い番組でも見ながら一分とかからずに公式に当てはめて(?)解けていたはず。日常的に扱う計算手続き(アルゴリズム)が、二次方程式から都市計画与件の整理に変わったのだなあと、現在の自分が妙に相対化された感覚があった。

ガーデンウェディング

6月16日の土曜日、パリの留学仲間の結婚パーティーに招待され、参加した。留学で一緒だったのは「子どもたちに誇れるしごとを」している某ゼネコン勤務の新郎のほうだが、インテリアデザインの事務所で働いている奥さんとも彼を通じて面識があった。会場の座席に置かれていた手書きのメッセージには「blog読んでるよ」と書いてくれていて、僕はそれを結婚パーティーについてもブログに好意的に書くようにという強要だと忖度し、早速、翌日の日曜日の今日、パーティーの記念にもらったコースターに熱いハーブティーを乗せてこの小文を綴っている次第だ。

冗談はさておき、結婚パーティーはこの半年来の期待どおり、(他人の結婚式に優劣をつけるのはよくないかもしれないが)自分がこれまで出席したなかでも特にすばらしい雰囲気だった。鎌倉駅から徒歩10分ほど、山のふもとの住宅街にある大きな民家の庭を使ってのガーデンウェディング。公式情報によると、750坪の庭園を有し、鎌倉市の景観重要建築物にも指定されている邸宅を一日一組限定で披露宴や会食に貸し切っているとのこと。天候が心配されたがどうにか崩れず、羽織りものを身につけてちょうど気持ちいいくらいの涼しい午後、芝生の庭に設けられた簡素な白いテントの下にテーブルが二列に並び、微風がそよぐ開放的な会場だ。このロケーションしかり、会費やドレスコードの案内しかり、冠婚葬祭の堅苦しい決まりごとにとらわれずに楽しんでほしいという二人の想いが伝わってくる全体のセッティングだった。

ちょうど小雨がぱらつき始めたのと前後して、終盤のデザートビュッフェからは庭を見渡せる屋内の広間に移動した。ここで最後に、新郎新婦が座っていた高砂の椅子が、新郎は丸一日まったく気づかなかったけれど、実はインテリアデザイナーの奥さんがこの日とこれからのために自らデザインしたものだったことが、その過程を記録した動画で明かされた。意外性のある感動的なエピソード、まるでO・ヘンリーの短編小説のようだ。

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僕としては相当久々に会う人も含めて留学時代の友人たちと会えたのも貴重だった。3月に隈研吾展を案内してくれたイケメンと定評の友人は遅れて到着し、招待客が最初に受付で参加していたサンドアート(木枠のついた四角い透明な容器のなかに、各々色とりどりの砂を注ぎ、それが地層のようになだらかに重なっていく。最後に新郎新婦が砂を注いで容器に砂が満ちる)をしておらず、食事中に同じく遅れて来た友人と二人で、綺麗な女性スタッフの方に連れられて砂を注ぎに席を立った。そのとき「ここのスタッフですか?」と聞いた友人に対し、女性スタッフの方が「いえ、(新郎新婦の)お二人の専属です」と答えたところ、その友人、サンドアートに遅れた自分たち二人の専属だと勘違いして、しばらく喜んでいたらしい。このポジティブ野郎…。

とはいえ、3年前に福岡で開かれた彼の結婚式と披露宴も、感謝と祝福の言葉や余興のひとつひとつに優しさと実感がこもった、やはり最も忘れがたい祝いの席としてずっと記憶に残っているのだった。留学時代の友人たちには時が経っても変わらない敬意を抱いている。そして自分にとって、パリ、福岡、鎌倉など、互いに共有した地名が新たに積まれることは、その心境を再認識する機会でもある。

気概を胸に

情けない話だが、前回書いた5月末の一泊二日の研修で、心身ともに疲れ切ってしまった。さらに、それが原因で風邪をひいてしまい、以来一週間というもの苦しい日々が続いている。

しかしながら、こと仕事に関しては、最近整えられた会社のシステムを上手く活用して乗り切った。ひとつはフレックス制度。朝、起床したときの風邪の具合によって、もう30分寝ればだいぶ良くなりそうだ、という日が多かった。そこでフレックスを使って出社時間を遅らせて、その代わり多少なりとも体調が上向いた状態で出勤することができたわけだ。もうひとつはノートPCの導入。これにより社内では必ずしも場所に縛られることがなくなり、いつものフロア中央のデスクではなく、より弱気な心境に合うような目立たない隅の場所を移動しながら作業をすることが多かった。

これがもし、従来通りの定時出社のデスク固定だったら、自由に分割しづらいその鈍重な業務時間に耐えられたかどうか、、、細部に配慮の届いたシステムは、自分が弱い立場に陥ったときに、ありがたみも分かるのだった。どうしてもっと早く導入してくれなかったのかと思わなくもないが、不毛な愚痴はもうよそう。

なお、風邪がなくとも、この一週間の苦労は十分に予想できたものだった。冒頭の研修は技術系同期の十数人と一緒に受けたのだが、彼ら彼女らの一人一人は悪人であろうはずがなくとも、一定以上の人数になった際の内輪の雰囲気を自分は楽しめず、いつも大きなストレスになるのだった(クラスに馴染めない中学生でも想像してもらえれば大体当たっているかと思う)。だから、研修などのイベントの後で体調を崩すなり「メンタルがヘラる」なりは毎度のことなのだった。しかし、ここで気分が落ちていって仕事にも影響するなど、そう何度も同じことを繰り返すわけにもいくまい。実はそういう強い決意で臨んだ一週間でもあった。この気概、ワールドカップに乗り込むどこぞの国の代表チームにも見習ってほしいものである。

シュールレアル散歩

5月末、府中にある宿泊室付きの大きな研修施設にて、1泊2日で中堅社員研修なるものがあった。プロの外部講師の方のもとで、自己啓発、自己成長といったテーマで様々な講義や演習が行われた。役に立ったかは年月が経って振り返らなければなんとも言えない。少なくとも、裏方で準備や調整にあたってくださったスタッフの方々には頭が下がる思いだ。

一日目の夜、ほぼ丸一日会議室で過ごした心身を外の風に当たって緩めようと、飲み物やちょっとした夜食を買いに出た。ただ、研修施設は市街地から外れた郊外にあり、すぐ近くにお店がない。そこで西に1キロ離れたところにあるスーパーまで歩いて行ったのだが、この散歩が思いがけず、非常にインパクトのある体験となった。郊外の夜は薄暗い。道の北側には東芝の事業所の巨大な敷地が広がり、一日の仕事を終えた従業員の人たちが門からちらほらと出て来る。敷地沿いに歩けども歩けどもスーパーは遠く、なかなか敷地境界の生垣が尽きない。ようやくたどり着いたスーパーの建つ交差点の角のひとつには送電鉄塔がいきなりそびえていて、その後ろに控えめにコンビニか何かが場所を占めている。少し寄り道した帰り道にも、なぜか数百メートルも左折できない妙な区画があったりする。他にも、いかにも年季の入った団地の、草が生えるにまかせた、いじけたような公園。ポスターの右上の画鋲が外れて斜めにだらりと垂れ下がっている地域広報掲示板。かと思えば、やけに真新しく快適そうな建売住宅の一帯もある。自分が日頃暮らしている街とは異なるスケールアウトした土地利用がなされている地域、しかも夜のとばりに隠されてその全体像はつかめない。シュールレアリスム的な小説や絵画の世界に放り込まれたように、散歩の中で目の前を行き過ぎる断片が異様な存在感をもって現れる。

後から調べてみると、自分が歩いていたのは住所でいうと府中市東芝町、本宿町、日鋼町だったようだ。東芝府中事業所は77ヘクタールにも及ぶ工場施設。また研修で滞在していた施設は、元々は日本製鋼所東京製作所だった場所が平成初期に再開発された「府中インテリジェントパーク」の建物群のひとつだという。

この地域を走る京王の路線バスの側面には、府中インテリジェントパーク経由で府中駅に向かうという経路案内が書かれているのだが、正面上部の方向幕には、省略して「インテリ 府中駅」と表示されている。インテリの人しか乗車が認められないかのような意味にも取れる。なので、研修中の言動がインテリジェンスに富んだものだった自信がない自分は、二日の間にそのバスに乗ることはなかった。

メンテナンス

家のそばの緑道の紫陽花のつぼみもふくらみ始めた初夏のこのごろ、先週くらいからこのブログのメンテナンス作業を続けている。利用するサービスを今の「はてなダイアリー」から、より機能の拡充した「はてなブログ」に移行しようとしている。せっかくなのでその際にIDやブログタイトルも気分新たに変えようかなと思ったら、それに伴ってメールアドレスまで見直そうかな…と、次から次にやることが出てくる。仕事から帰宅した夜に自分のPCで作業するのだが、夜遅くまでディスプレイの光を浴びるのは寝つきを悪くするので、あまり時間もとれず、遅々として進まない。なので少なくともあと一、二週間は「はてなダイアリー」を使うことになりそう。

新しい「はてなブログ」の設定で一番悩むのが、デザイン。公式のものからユーザーが自作して公開しているものまで多数のデザインテーマがインストールできる。ひとつひとつプレビュー表示してみると、カスタマイズできるとはいえ、色使い、レイアウト、フォント等々の要素のなかで、何かしらしっくりこない部分が目についてしまう。ファンシーなテーマを試してみれば、やはりもっとシンプルなものがよかろうと思う。なるべくミニマルなテーマを試してみれば、そこまでカッコつけんでよろしいと思う。そんな試行錯誤を経て、ようやく自分なりにバランスの良いと思えるデザインテーマに落ち着きつつある。よかった。しかし、すると今度は、そのデザインテーマに自分が過去に書いてきた記事が「なんとなくいい感じ」で配置されている画面を見て、その文章の内容はあえて省みずに、すでに満足感に浸って、これ以上書かなくてもよいかななどという考えが頭をよぎり、本末が転倒しかけたり。ビジュアル、インターフェース、そして肝心の記事の内容まで、トータルに優れたデザインを達成する困難をしみじみと感じる初夏のこのごろ。

ひどく絵になる乱太郎

先日、ふと思い立って若手の創作家のトークイベントを聴きに行った。詩人の大崎清夏さん、歌人の伊波真人さんの対談。自分には馴染みのない分野だったけれど、お知らせのポスターを見かけた時に直感的に惹かれたのだった。あとはその日時に暇があったから。

30代前半のお二人は会社の隣の席で働いていそうな、いい意味で普通の、親しみやすい和やかな雰囲気で話されていた。でももちろん、言葉で勝負する芸術家らしい感性や発想の豊かさも随所に垣間見られた。創作のスタンスの話や、趣味の音楽の話への脱線、自作の詩歌の朗読などがゆるゆると進む。イベント終盤、伊波さんが

日陰から日陰に移る束の間に君のからだは日時計になる

を朗読したときに、僕は結句の「日時計になる」の部分を最初「ひどく絵になる」と聞き間違え、二度目に読まれた際に正しく聞き取れた。勘違い版も、突如なげやりな調子に変わるところがなかなか味わいがあると思った。イベントの後のサイン会で、伊波さんの歌集『ナイトフライト』にサインをしてもらった時にそのことを伝えると、増版されたときはひどく絵になるに変えます、と笑いながら伊波さん。聞き間違いというのも面白いですよね、と大崎さん。

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子供のころに『ドラえもん』が大好きだったという作家やデザイナーの方がちらほらいるが、自分の場合は何といっても乱太郎。漫画の題は『落第忍者乱太郎』、アニメは『忍たま乱太郎』。乱太郎の世界は、果てしなくくだらない聞き間違いの宝庫である。漫画は実家の納戸にあるので今は手元にないが、例えば「これらがひとつ」を「コレラがひとつ」、「宿命のライバル」を「スルメのライフル」など、挙げればきりがない。そうかと思えば、学園長がぶふぉぶふぉと漢詩を口ずさんだりもする。
学園長の部屋の掛け軸が何者かに破られるという事件が発生したときのこと。土井先生が落ち着いて「そういえばあれは学園長がひと苦労して書かれた掛け軸でしたね」と学園長に確認する。それを聞いたしんべエは「総入れ歯アロハ額面帳がヒト殺して炊かれたかけ汁なんだって」と喜三太に伝える。喜三太はただキョトンとした表情を浮かべている。

また別のおり、土井先生が忍術学園の火薬庫の中に入っていく。「この中暗くてなー」とぼやく土井先生。しんべエがどこからか持ってきた松明を「はい先生、あかりー」得意げに掲げるが、土井先生は驚愕してのけぞる。次のコマで土井先生は棍棒でしんべエをぼこぼこに殴り、顔の大きさを二倍にして泣き喚きながら叱る。「ここは火薬庫だぞ火薬庫。煙硝蔵だぞ煙硝蔵。火気厳禁だ火気厳禁ー」。ぶぁくはつしたらどーする、というツッコミも、吹き出しの外に手書きで添えられている。次の横長のコマ、右側で瀕死にあえぐしんべエに対し、中央にあらわれた乱太郎が後ろに手を組んで、胸を張って笑顔で「そうだよ、しんべエ。柿は現金で買うものだよ」優しく諭すように言う。しかし乱太郎は気付いていない!すぐ後ろで、激情おさまらない土井先生がくだらない洒落を言って悦に浸る乱太郎に狙いを定めて棍棒をバットのように構えていることに!最後のコマ、まだ怒りに顔をこわばらせた土井先生のきれいなフォロースルーのその先、乱太郎は斜め上方に真っ直ぐな軌道を描いて飛んでいった。カキーン、という痛快な効果音を響かせて。