Weekend Note

2010年ブログ開設。日常、建築、旅行などについて書いています。

マチネの終わりに(その2)

梅が咲き始めた。休日に小田急線に乗った際、“ODAKYU VOICE”なる広報誌を手にとってみたら、梅ヶ丘の来歴について書いてあった。なんでも、駅名がそのまま地名となり、その美しい名前にふさわしい街にしようと、後から梅が植えられていったのだとか。そして十五回の植樹を重ね、東京屈指の梅の街へ。名前と街の、名前と物の相互関係の、ひとつの幸福な形があると感じた。

僕の名前は、友人評などによれば一度聞いたら覚えられやすいようで、自分にとってacceptableではある。一方で、予約や手続きの電話で説明する際に手間がかかるし、若干、キラキラネームのはしりという感もある。そして、親の性格も考えあわせると、そのいささか肩肘張った気負いが名前の向こうに透けて見える気もする。

最近どういうわけか、自分の子供時代について、この親の気負いに呑まれて、常に親の目を気にして(まさしく忖度して!)育ったかもしれないなぁと思い返す傾向が強い。建築を学び始めて以来、何らかの形あるアウトプットの裏にある考えや背景を読む習慣がついていく中で、子供時代の行動を回想してみると、サッカーなどを除いて、学校の図工でも作文でも、家でのちょっとした遊びでも、いかに「忖度」に終始して、伸びやかで自由な発想が欠けていたかを実感してしまう。

その際たるものが、物心ついた頃から習い事として始まっていたバイオリン、および音楽だ。音を連ねていくことはできたが、こうしたい、こういう音楽を弾きたいという希望や創造性は、悲しいかな、まるでなかった。楽しいコミュニケーションではなく、縮こまっていたことの象徴に音楽がなってしまっていることの遣る瀬無さ。この感覚は周期的にやってくるのだけれど、最近特にその波が大きいのはどういうことなのか。冒頭の小田急線に戻ると、車内の広告画面でたまたま外国の歌手を知り、早速ダウンロードして聴いてみて、とてもいいなと思ったのだが、次の瞬間には、さてこの歌手が、僕にとっての音楽に対するある種のトラウマとコンプレックスを克服していう過程でどういう位置付けになってくれそうか、などとナンセンスな打算を考えてしまうのだった。

しかし、音楽を素直に愛でられない自分について、ようやく、もう仕方がないと思い始めている。音楽にまつわるものも、まつわらないものも総動員して、ただの音楽をただ聴けるようになるまで、時間を稼ぐしかない。そうした意味でも、音楽がテーマの『マチネの終わりに』は、重要な本だった。