Weekend Note

2010年ブログ開設。日常、建築、旅行などについて書いています。

鹿島アントラーズ観戦記(その1)

11月3日の土曜日は、フットサルの友人に誘われて、サッカーのアジアチャンピオンズリーグの決勝戦の第1戦、鹿島アントラーズペルセポリス(イラン)を、カシマサッカースタジアムに観に行ってきた。鹿島に試合を観に行ったことはなかったし、こんな大舞台を観れることもそうそうない機会。ひょんなことからチケットを手に入れたので、と直前に連絡が来たとき、すぐに「ありがとう、行きたい」と返事をした。

しかし、ひとつ問題があった。鹿島(市町村の表記は鹿嶋市)は相当遠い。アントラーズの試合観戦のためのバスが東京駅から出ているのだが、すでに予約がいっぱい。電車を何度も乗り継いで行くしかない。最後のローカル線の本数が少ないため、15時のキックオフの2時間前か、30分後に着くかの選択肢に限られてしまう。そこで、友人とは往路は現地集合、復路は一緒にという予定で、13時にスタジアム集合という約束にした。

ところが、家を予定通り9時半に出たものの、途中の地下鉄で各停と急行を乗り間違えてしまい、それによって後ろの乗り換えの予定が狂い、キックオフ30分後にスタジアムに着く以外になくなってしまった。東へ進む電車の中で急いで友人に連絡してから、代替案を調べた。そして、電車で行けるところ(香取駅)まで行って、そこからタクシーに30分ほど乗り、直接スタジアムまで行けば間に合うことがわかった。タクシー代は僕が払うということで、途中の成田駅で合流して一緒に行くことに決定。

11時40分、成田駅に到着。駅前で待っていた友人にペコペコと謝った。もっとも、友人にとっては、ローカル線の電車が僕のおごりのタクシーに変わったので、トクすることになるのだ。次のJR成田線まで一時間ほど時間があるので、勝利祈願がてら成田山に行くことにした。駅前から参道が続いていて、観光客で賑わっている。参道はまず緩やかに左に折れ、それから右に曲がりながら下る坂道になる。温暖な気候で、歩いていて気持ちよい。道沿いの鰻屋さんには行列ができていて、店頭に出した作業台で、お店の人がサッ、シュー、ストン、と滑らかな手つきで鰻をさばいていた。坂道を下りたところで、左側に成田山新勝寺が構えていて、急峻な石段を登って大本堂の境内に至る。「開山一〇八〇年」と書かれた巨大な看板が屹立している。小さな駅前の街並みに比して異様なまでに巨大で荘厳な寺院に圧倒された。

成田駅まで戻り、コンビニで軽食のおにぎりなどを買い、成田線の車両に乗り込む。時々、停車駅ですれ違う電車の通過待ちをしながら、平坦な田園風景を進み、13時30分、香取駅に到着。香取駅は小さな無人駅で、タクシーは電話で呼ぶ必要があった。後から知ったところ、一駅前の観光地の佐原で降りたほうがスムーズにタクシーに乗れたらしい。僕たちが乗る黒のクラウンのタクシーも、佐原から十分ほどかけて来てくれた。成田駅で同じ電車に乗り込んだ鹿島アントラーズの赤いユニフォームを来た男性も、きっと佐原で降りて車に乗り換えたのだろう。ともあれこれで、あとは単に後部座席に座ってスタジアムに着くのを待つだけだ。タクシーの運転手さんいわく、アントラーズの試合の日は、そういうアクセス方法をとるお客さんもよくいるらしい。タクシーは高速道路に入って北上し、利根川を渡り、西に運河や田畑や丘、東に工場地帯を遠望する広大な平野を進む。が、長い渋滞につかまってしまう。おそらくスタジアムに向かう車が多いのだが、運転手さんもこんなことは初めてだという。やはり今日の試合が特別ということなのだろうか。イラン人の乗ったバスも横を通る。

高速を降り、最後の国道を走ってゆくと、波打つ形の屋根が特徴のスタジアムがついに見えてきた。依然、渋滞でのろのろと進んでいる。あと500メートルくらいまで迫ったところで、もうタクシーを降りて小走りで行くほうが早いなと判断し、タクシーを降りる。料金は8,500円。自分のタクシー代の最高記録を大幅に更新だ。それでもスタジアムまで走り、急いで入場し、バックスタンド下段の席にキックオフ直前に着けたのでよかった。

10. Louisiana's Enigma

最終泊となる9月22日の土曜日は、終日ルイジアナ美術館で過ごした。今回の旅のメインを、最後にとっておいたのだった。

土曜日はホテルで朝食をとり出発。気候は涼しく晴れている。コペンハーゲンから電車で海に沿って北上し、最寄りの駅から歩いて、11時の開館の直前にルイジアナに到着。数十人のお客さんが列をなして開館を待っていて、近くにいた夫婦は今日の天気を確認し合っている。大体は晴れ、とのこと。

ルイジアナ美術館は東のすぐ前方に海を望む丘にある。森に囲まれたような広い敷地に、弧を描くように低層の美術館の建物が配置され、ガラス張りの回廊がそれらをつないでいる。芝生の広場、野外彫刻、散策路、池なども点在し、自然と芸術作品がひとつに溶け合ったようなのびやかな環境だ。

まずはエントランスから右方の企画展ウイングへ。企画展のテーマは「月」だった。意表を突かれた感じだが、歴史的に人間がどのように月に憧れたり芸術創造の源泉としてきたのかを、科学と芸術の両面から検証するという試みらしい。自動ピアノがベートーヴェンの「月光」のアレンジを弾く導入部の回廊を通り抜けると、ガリレイの月の観察図やヴェルヌがSF小説執筆の参考にしたという月の地図などがたっぷりと展示されている。企画やキュレーションのレベルが非常に高い。

企画展をじっくり観たものの、18時の閉館まではまだまだ時間がある。一度外の庭に出てから、今度は逆側のウイングの常設展へ。部屋や回廊がリズミカルに続いてゆく建物に、近現代の絵画や彫刻がゆったりした間隔で配されていて、ところどころで庭や森に視界が開ける。外と中を出入りする人たちも。子供たちが制作体験のできるアトリエ棟を過ぎると、ジャコメッティの部屋があらわれる。贅肉を極限まで削ぎ落とした禁欲的な彫刻だと思っていたジャコメッティの作品が、ここではあたかも僕たちと一緒に池や森をそぞろ歩いているかのようにくつろいで見える。

このように常設展のウイングは総じて、およそ美術館とは思えない肩肘張らない場所が続いてゆく。何をもってその雰囲気が実現されているのか。分析的に見るならば、おそらくポイントはいくつかあって、たとえばなだらかな起伏に沿った不規則な建物配置や床のレベル差・傾斜やトップライトによる変化に富んだ空間のシークエンス。屋外への出入口がいたるところに設けられていることも含めた、視覚的、心理的な開放感。黒色(サッシなど)、白色(れんが壁など)、茶色(木材など)を基調とした、落ち着きと統一感のある色彩。

f:id:irihitic:20181013105422j:plain

f:id:irihitic:20181013105436j:plain

ひととおり歩いた先、海に面したテラス付きのカフェテリアにたどり着く。カフェテリアはお昼時の時間で大にぎわいだった。美術館のカフェというよりは、皆が自由気ままにくつろげる海水浴場やスキー場のレストランのような雰囲気だ。メニューもたっぷり量の食べられるビュッフェ形式。リゾットやスープやサラダなどを盛りつけてもりもりと食べた。

昼食を食べていると昨日のマルメのように空が灰色の雲に覆われ、やがてざんざん降りの雨になった。食後は外を歩こうと思っていたが諦めるか、仕方ない、計画を修正しよう。と思いきや、食後のコーヒーを飲む頃にはすっかり雨があがって、太陽の光が辺り一面に降り注ぎ、濡れた芝生や木々がまばゆいばかりに輝いている。

f:id:irihitic:20181013105530j:plain

f:id:irihitic:20181013105553j:plain

まったく、昨日から北欧の天気は情緒不安定で付き合いづらい人間のようだと苦笑しつつ、やはり晴れてくれたほうがありがたい。食事を終えてそのまま外に出て、庭や森を歩く。このときにも、ゆくりなく俄か雨が降ったと思っては止み、が繰り返された。そのたびに折りたたみ傘を開いたり閉じたりした。芝生の丘まで登って海のほうへ振り返ると、驚いたことに、海の向こう、対岸のスウェーデン側に大きな虹が出ている。こんな僥倖に恵まれるとは思ってもみなかった。周りにはあまり人がいなくて、どのくらいの人たちが虹に気付いていたのかわからないが、自分はせっかくなので消え去るまで眺めていた。

外にずっといると身体が冷えてくるので、館内に出たり入ったり、カフェテリアで休んだりして残りの数時間を過ごす。終わってみれば、特に何をしたでもなく、あっけなく18時の閉館時間になった。

    *    *    *

旅先で見た景色が、振り返ってみると、その後の自分が経験することになる何かを暗示してはいなかったか、と思うことがしばしばある。景色に特段の意味などないことは分かっているけれど、そこに意味や物語性を見出して自分なりに納得してゆく過程は、自分や周りの人たちの心や生活を豊かにするものなのではないか。デンマークで見たひとつひとつの景色は、ルイジアナでの偶然の虹は、一体何であったのか。これから長い年月をかけて見ていくことになる。

09. Oh, Sentimental Sweden

コペンハーゲンスウェーデンのマルメを結ぶオーレスン・リンク(橋および海底トンネル)が2000年に開通し、列車と自動車での行き来が可能となって以来、両都市はより身近となったという。僕も旅の後半の日、コペンハーゲンでの最後の宿となる市街地のホテルにチェックインした後、その足で中央駅まで歩き、正午過ぎにマルメへの列車に乗った。マルメにはあっという間に着いた。東京から千葉に行くくらいの感覚か。特に橋を渡っている時間はわずかだった。

天気は曇ってきたが、マルメは運河が通り、古い街並みの残る美しい都市だ。適当な店に入って昼食をとり、マルメ市立図書館に向かう。図書館はお城の公園の緑に面していて、20世紀はじめに建てられた既存部と、20世紀末に加えられた増築部からなる。増築部は、コペンハーゲンのオペラハウスやIT大学を手がけた巨匠建築家のヘニング・ラーセンの設計。ガラスの大きなアトリウムが明るく開放的で気持ちいい、正統派の公共建築だ。

f:id:irihitic:20181008123031j:plain

f:id:irihitic:20181008123044j:plain

図書館からの帰り道は、スウェーデンに来ているということで、アヴィーチーを聴きながら歩いた。今年4月の急死は大きなショックだったので、追悼の意をこめて。ところが、3曲くらい聴いているうちにどんどん空模様が怪しくなり、大気は湿気を含み、目に留まった建物に少し入っている間に土砂降りになった。こういう演出は望んでいないのだが…。そんなことを考えていると、思い出してきた。2011年の夏にスウェーデンに来たときも、留学の最終盤でやや感傷的な気分にとらえられていて、しかも白夜でいつまでも暗くならないものだから頑張って街を歩き回り、体力的にも精神的にもグロッキーになったことを。これ以上おセンチな気分をスウェーデンと結びつけるのはよくなかろうと考え、小さな折りたたみ傘を頼りに駅まで逃げるように駆け戻り、すぐにコペンハーゲンへ帰る列車に乗りこんだ。

というわけでわずか3時間のスウェーデン滞在だったが、他国への日帰りはヨーロッパに来ているという実感を強めてくれる。特にコペンハーゲンとマルメは本当に近い。帰りの列車では、『バッハの旋律を夜に聴いたせいです』を集中して聴いていたせいで、デンマーク側に上陸したことに気付かなかったほど。なお、コペンハーゲン中央駅に着いた頃には、空にはまた晴れ間が広がっていた。

08. Bjarke Ingels Groove

今回の旅で多くのスポットを訪れ、建築を見て回ったが、質・量ともに最も大きなインパクトを受けたのは、建築家ビャルケ・インゲルス −事務所名はBIG(Bjarke Ingels Group)− で間違いない。8泊9日の間に見た、ビャルケ・インゲルスが関わったプロジェクトは完成年の順で以下の10個。

f:id:irihitic:20181013125608j:plain

ハーバー・バス(2003)

 

f:id:irihitic:20181013125633j:plain

海辺のユースハウス(2004)

 

f:id:irihitic:20181013125726j:plain

Vハウス(2005)

 

f:id:irihitic:20181013125753j:plain

Mハウス(2005)

 

f:id:irihitic:20181013125818j:plain

f:id:irihitic:20181013125838j:plain

マウンテン(2008)

 

f:id:irihitic:20181013125921j:plain

8ハウス(2009)

 

f:id:irihitic:20181013130205j:plain

スーパーキーレン(2012)

 

f:id:irihitic:20181013130229j:plain

f:id:irihitic:20181013130320j:plain

デンマーク立海洋博物館(2013)

  

f:id:irihitic:20181013130448j:plain

f:id:irihitic:20181013130508j:plain

ガンメル・ヘレルプ高等学校(2014)

 

f:id:irihitic:20181013130527j:plain

アマー島リソースセンター(建設中)

 

いずれも、それができる前には想像だにしなかったような風景を建築が作り出していた。そして、建物のデザイン密度や完成度はもとより、プロジェクトの企画や敷地自体がそれぞれスペシャルで魅力的だと強く感じた。しかし、それは必ずしもBIGが面白い仕事ばかりが舞い込むラッキーな事務所というわけではなく、各プロジェクトに固有の潜在的な可能性を、設計を通じて最大化しているということなのだろう。

ニューヨークの巨大プロジェクトやグーグルの新社屋を手がけるなど、若くして今や世界を代表する建築家になったビャルケ・インゲルスは、デンマークのスター的存在にもなっているらしい。コペンハーゲンの空港の到着口を通り抜けると、運河に飛び込む人たちで賑わうハーバー・バスの大きな写真のパネルが迎えてくれるし、さらにメトロへ向かうコンコースには「BIGによるデザイン」という言葉付きでデンマーク立海洋博物館の観光案内看板が立っている。宿のホストの人たちも、ビャルケ・インゲルスの名前を出せば余計な説明は要らず、打てば響くように話が通じる。旅の最終日、空港へ行く前にトランクを引きながら海辺のユースハウスを訪れた時は、女性セイラー限定イベントの日だったが、スタッフの老婦人に「日本に帰る間際にビャルケ・インゲルスの建物を見に来たのですが」と話すと、相手は慈悲深いまなざしと共に「ええ、わかっていますよ。よく見学者が来ますから」と、コーヒーをすすりながら中で休むことを快く許可してくれた。

    *    *    *

今回見た中でひとつ詳しく取り上げるなら、「8ハウス」が圧巻だった。コペンハーゲン南部のアマー島の、都市開発が進行中の地域の南の端に位置していて、そこから先は保存指定されている広大な牧草地が広がっている。劇的なロケーションだ。建物の形態は平面的に横が約100メートル、縦が約200メートルの8の字の形状。面積は約6万平方メートルにものぼる集合住宅だ。その巨大な建物の全体を、8の字の形に沿ってタイル敷きの幅の広い緩やかな坂道が旋回するように取り巻き、建物の一番上まで続いている。その坂道に面して、前庭付きのメゾネット住戸が配されているのが主な住戸形式。街路が空中に浮かびあげられたような坂道では、子供達が遊んでいたり、帰宅の途につく若い男性が自転車を押していたり。下を見下ろせば8の字によってかたどられた中庭でサッカーをする少年たちがいたり。坂道に面した前庭を囲う低い塀の設えなど、プライバシーと開放性のバランスも絶妙で、前庭には住人それぞれのテーブルや椅子、バーベキューコンロ、植物、子供の遊び道具などが並べられ、犬や猫もいる。その奥、家の中には食事中の夫婦の様子が垣間見えたりもする。

集合住宅とは人間が暮らすための地面を作り、生活の基盤を作り、人の交流を作るのだという建築家の猛烈な意識が、大地からはいのぼってきたかのような建築だ。しかもそのコンセプトが、これほどの巨大な規模においても、下から上まで、端から端まで、身近な人間的スケールで貫徹されている。その際、建物全体を8の字形にするというアイデアは、坂道の距離が長くなり、方向や経路が多様になることからも、かないすぎているくらい理にかなっているようだ。「8ハウス」という分かり易い名称と同時に、BIGの書籍にある'Infinity Loop'という言葉もこの建築をよく表している。

コペンハーゲンの始原の風景を思わせる牧草地と最先端のアーバンデザインが相まみえるロケーション。大胆かつ緻密な建築のデザイン。そして住人の人たちひとりひとりの生活。ひとつの都市あるいは国の、自然や文化の総体としての光景を、自分は今見ているのではないか…そう感じさせてくれるほどのエネルギーが「8ハウス」にはあった。

f:id:irihitic:20181013130734j:plain

f:id:irihitic:20181013130752j:plain

 

07. Comedian or Architect

スマホのメモに「ウッツォン」と打ったつもりでいたら、予測変換で間違いがあったのか、「ウッチャン」と保存されていた。こんなふうに、デンマークの建築家ヨーン・ウッツォン(1918-2008)は、日本の一般の人にはあまり馴染みがないかもしれない。しかし、シドニー・オペラハウスを設計した建築家だと伝えれば、いささか覚えづらいその名前に対する畏敬の念も違ってくるようだ。シドニー・オペラハウスに関わったエンジニアのピーター・ライスが、その自伝の中で「スケッチは天才的で…」などとウッツォンの才能やパーソナリティーを称賛していたこともあり、自分にとってウッツォンの建築を訪問することは長年の宿望だった。 今回訪れたウッツォンの建築はふたつ。「バウスヴェアの教会」と「キンゴー・ハウス」だ。

f:id:irihitic:20181006132608j:plain

f:id:irihitic:20181006132620j:plain

まず、コペンハーゲンから電車で30分ほどの郊外のバウスヴェアという場所にある教会。これは一見地味だが、完璧な建築だった。礼拝室や集会室、中庭が回廊で結ばれるような構成で、シンプルで整然としたコンクリートの柱の配置と、トップライトや波打つ天井の造形が特異な美しさを生み出している。素っ気ない外観は、周囲を木々に囲まれた立地にあっては、建築家の自己顕示が良く抑えられ、むしろ肩の力の抜けた親しみやすさを与えるものと見える。教会の方々も気楽なもので、エントランスが開いていたので勝手に中に入ってウロウロしていた僕にも笑顔で接し、建物の案内もしてくれた。

    *    *    *

デンマークの旅で特大のインパクトを受けたもう一人の建築家、ビャルケ・インゲルス(の率いるBIG)が、どちらかといえば理詰めで建築を説明するのに対して、ウッツォンはより個人的な感性や芸術的な造形感覚でさらっとまとめてしまうという印象だった。このコントラストは、ポルトガルポルトでの建築探訪の体験と似ている。ポルトでは、理性のコールハース、感性のシザだった。もちろん、理性対感性という対立構図は考えるきっかけであって、強引にこじつけて分類するものではないが、ポルトデンマークでは短期間で建築の様々な側面、しかもそれぞれの最高峰の例を見ることができた気がして、とてもありがたい。

ビャルケ・インゲルスとヨーン・ウッツォンが、見事な相互補完関係を結果的に築いてくれている、その象徴が、コペンハーゲンから北に40キロほど離れた港町のヘルシングエーア(Helsingør)にあった。BIGの「デンマーク立海洋博物館」は、曇天の冴えない空模様のもとでも、昔の巨大な乾ドックにジグザグのガラスのボリュームを架け渡していくという形態が強烈な存在感を放っていた。一方、昼食を挟んでからバスで赴いたウッツォンの「キンゴー・ハウス」は、着いた頃には本降りになっていて、なだらかな起伏のある緑豊かで広大な敷地に低層の住戸がうねうねと雁行して続いてゆくテラスハウス(連続住戸)の全体像は一度には決して捉えられず、雨と靄に覆われていた。

06. Rebuild in Denmark

10年前の初めての海外一人旅とふたたび比較してみると、最も大きな変化のひとつはスマホの普及だろう。また、2年前の海外旅行と比べても、自分の中では日常的にポッドキャストやラジオを聴くという、まったく新しい趣味や習慣が身についていた。自分の生活がより、世界のどこにも持ち運べるポータブルなものになったと言えると思う。日常的に海外を飛び回っている人には、今さら何を、と思われるかもしれないが。

日本では月曜や火曜の昼にアップされる音声コンテンツがあって、普段は夜に帰宅して夕食をとった後に食器を洗いながらそれを聴く。だがデンマークにいたときは時差により、朝食の食器を洗いながら、アップされた直後の音声を聞くことができた。パーソナリティーの語る、友人の結婚に際して困ったことがあったというわずか数分程度のエピソードは、さんさんと朝日の入る白いキッチンの光景とともに記憶に残った。

 コペンハーゲンから電車で30分ほどの郊外にある、ヨーン・ウッツォン設計の「バウスヴェアの教会」に行ったとき、乗り換え駅で電車の遅れが発生して、しばらく待ちぼうけを食うことに。しかし、ポッドキャスト‘Rebuild’の最新エピソードがアップされていて、ちょうど良い時間つぶしになった。ここでも、番組でのアップルウォッチの話と、駅から見回せる何の変哲も無い、しかし閑静で心落ち着く景色が結びつく。

今回のデンマークの旅の一連の記事のタイトルは、Rebuildにならって数語の英語で名付けてみた。内容に関連して、かつ洒落のきいたタイトルをつけるのは難しいが、楽しい作業だ。英語が間違っていたらご愛嬌ということで許されたい。

05. Super Prices

デンマークはとても物価が高い。それはわかっていたので、心して旅行に臨んだ。具体的には、初めて旅行中の出費を逐一ノートにメモした。例えばある日の昼食のマクドナルドは、現金で80デンマーククローネ(約1,500円)。出費を現金とカードに分けて、それぞれの残高が分かるようにすることで安心感がぐっと増した。そうした努力と、食事にこだわらなかったことから、結果としては覚悟していたほどにはお金を使わなかった。

しかしながら、本当に損をした気分になったこともあった。様々なTPOを経験しようと、最初の6泊は経済的にAirbnbでしのぎ、最後の2泊は市街地のホテルを予約した。このホテル、デンマークのモダンデザインのインテリアが特徴だという。だがチェックインしてみると、部屋はただ狭く、ロビーもセンスがいいとはとても言えない空間に、とりあえずヤコブセンのスワンチェアが並べられている。リサーチが不十分だったのだろうが、これでモダニズム気分に浸れというのか、なめられたものだ、と思った。

「ホテルはどう?」ちょうど前日までのアパートのホストのクララとニールスがメッセージをくれた。「高いけどいまいち」「一泊いくら?」「約1000DK以上(約2万円以上。注:実際はもっと高かった)」と送ると、「Crazy !」と返事が来た。物価が高い国では、パフォーマンスが悪いことが、ほぼ自動的にコストパフォーマンスが悪いことを意味するのか。

一方、デンマークでは水くらいしか買えないような値段で日本で購入していった煎餅のお土産が、Airbnbのホスト2組に好評だった。旅行の中でも最高のコストパフォーマンスだったと思う。

    *    *    *

社会人の8泊程度の旅行なら、物価が高くても一時の我慢でいいだろう。しかし、例えば外国からの留学生が1年以上暮らすとなると、辛いものがあるかもしれない。各家庭の経済状況が学習環境へのアクセスの公平性に影響してしまう問題は、ポッドキャスト‘Rebuild’でMCの宮川さんが度々指摘していることでもある。