Weekend Note

2010年ブログ開設。日常、建築、旅行などについて書いています。

10. Louisiana's Enigma

最終泊となる9月22日の土曜日は、終日ルイジアナ美術館で過ごした。今回の旅のメインを、最後にとっておいたのだった。

土曜日はホテルで朝食をとり出発。気候は涼しく晴れている。コペンハーゲンから電車で海に沿って北上し、最寄りの駅から歩いて、11時の開館の直前にルイジアナに到着。数十人のお客さんが列をなして開館を待っていて、近くにいた夫婦は今日の天気を確認し合っている。大体は晴れ、とのこと。

ルイジアナ美術館は東のすぐ前方に海を望む丘にある。森に囲まれたような広い敷地に、弧を描くように低層の美術館の建物が配置され、ガラス張りの回廊がそれらをつないでいる。芝生の広場、野外彫刻、散策路、池なども点在し、自然と芸術作品がひとつに溶け合ったようなのびやかな環境だ。

まずはエントランスから右方の企画展ウイングへ。企画展のテーマは「月」だった。意表を突かれた感じだが、歴史的に人間がどのように月に憧れたり芸術創造の源泉としてきたのかを、科学と芸術の両面から検証するという試みらしい。自動ピアノがベートーヴェンの「月光」のアレンジを弾く導入部の回廊を通り抜けると、ガリレイの月の観察図やヴェルヌがSF小説執筆の参考にしたという月の地図などがたっぷりと展示されている。企画やキュレーションのレベルが非常に高い。

企画展をじっくり観たものの、18時の閉館まではまだまだ時間がある。一度外の庭に出てから、今度は逆側のウイングの常設展へ。部屋や回廊がリズミカルに続いてゆく建物に、近現代の絵画や彫刻がゆったりした間隔で配されていて、ところどころで庭や森に視界が開ける。外と中を出入りする人たちも。子供たちが制作体験のできるアトリエ棟を過ぎると、ジャコメッティの部屋があらわれる。贅肉を極限まで削ぎ落とした禁欲的な彫刻だと思っていたジャコメッティの作品が、ここではあたかも僕たちと一緒に池や森をそぞろ歩いているかのようにくつろいで見える。

このように常設展のウイングは総じて、およそ美術館とは思えない肩肘張らない場所が続いてゆく。何をもってその雰囲気が実現されているのか。分析的に見るならば、おそらくポイントはいくつかあって、たとえばなだらかな起伏に沿った不規則な建物配置や床のレベル差・傾斜やトップライトによる変化に富んだ空間のシークエンス。屋外への出入口がいたるところに設けられていることも含めた、視覚的、心理的な開放感。黒色(サッシなど)、白色(れんが壁など)、茶色(木材など)を基調とした、落ち着きと統一感のある色彩。

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ひととおり歩いた先、海に面したテラス付きのカフェテリアにたどり着く。カフェテリアはお昼時の時間で大にぎわいだった。美術館のカフェというよりは、皆が自由気ままにくつろげる海水浴場やスキー場のレストランのような雰囲気だ。メニューもたっぷり量の食べられるビュッフェ形式。リゾットやスープやサラダなどを盛りつけてもりもりと食べた。

昼食を食べていると昨日のマルメのように空が灰色の雲に覆われ、やがてざんざん降りの雨になった。食後は外を歩こうと思っていたが諦めるか、仕方ない、計画を修正しよう。と思いきや、食後のコーヒーを飲む頃にはすっかり雨があがって、太陽の光が辺り一面に降り注ぎ、濡れた芝生や木々がまばゆいばかりに輝いている。

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まったく、昨日から北欧の天気は情緒不安定で付き合いづらい人間のようだと苦笑しつつ、やはり晴れてくれたほうがありがたい。食事を終えてそのまま外に出て、庭や森を歩く。このときにも、ゆくりなく俄か雨が降ったと思っては止み、が繰り返された。そのたびに折りたたみ傘を開いたり閉じたりした。芝生の丘まで登って海のほうへ振り返ると、驚いたことに、海の向こう、対岸のスウェーデン側に大きな虹が出ている。こんな僥倖に恵まれるとは思ってもみなかった。周りにはあまり人がいなくて、どのくらいの人たちが虹に気付いていたのかわからないが、自分はせっかくなので消え去るまで眺めていた。

外にずっといると身体が冷えてくるので、館内に出たり入ったり、カフェテリアで休んだりして残りの数時間を過ごす。終わってみれば、特に何をしたでもなく、あっけなく18時の閉館時間になった。

    *    *    *

旅先で見た景色が、振り返ってみると、その後の自分が経験することになる何かを暗示してはいなかったか、と思うことがしばしばある。景色に特段の意味などないことは分かっているけれど、そこに意味や物語性を見出して自分なりに納得してゆく過程は、自分や周りの人たちの心や生活を豊かにするものなのではないか。デンマークで見たひとつひとつの景色は、ルイジアナでの偶然の虹は、一体何であったのか。これから長い年月をかけて見ていくことになる。