Weekend Note

2010年ブログ開設。日常、建築、旅行などについて書いています。

台湾へ

あけましておめでとうございます。前回の記事が中途半端なまま途切れていたけれど、那覇での友人の結婚披露宴はとてもよかった。沖縄出身の新婦が僕たちの友人で、彼女はピアニストなので、本人(とお姉さんの連弾)はもちろん、音楽つながりのゲストの方々によるサックス、リコーダー、テノールなど色んな楽器の本格的な演奏が続き、さながらスペシャルコンサートの様相を呈していた。那覇を訪れたついでの街歩きも楽しんだ。二日目からは温暖な天気に恵まれ、秋や冬という季節を知らないようなヤシやガジュマルの樹々が深い緑の葉を茂らせていた。

 12月下旬の仕事がバタバタしていた時期が終わると、早めに冬休みをとって、台湾に4泊5日の旅行に行った。台北に3泊、南の高雄に1泊。実は高雄と僕の実家のある熊本の間に直行便の飛行機が通っているので、移動の効率も良く、航空券代としてもおトク感のある台湾経由での帰省にしたわけだ。台北の天気はずっと曇りと小雨で、霧のような細かい水滴が延々と緩慢な上下運動を繰り返しているかのようだった。滞在中に太陽の光が注いだのは文字どおり一瞬だけ。気温は思っていたよりだいぶ涼しく、普段フットサルやジョギングで愛用している水色の薄いウィンドブレーカーが重宝した。そんなすっきりしない気候ではあったが、それでも、あるいは、だからこそ、灰色のぼんやりした空気の中で人々がうごめく台北の街には奇妙に心ひかれる妖術的な、幻想的な印象が残った。一方、高雄は春のような陽気で、大きな芝生の公園や港の倉庫をリノベーションしたエリアで地元の人々が思い思いの時間を過ごしていた。

東京から台北も近いが、高雄から熊本はさらにあっという間、2時間程度のフライトで到着してしまった。東京・熊本間とほぼ変わらない。熊本も大晦日などは特に晴れていて、父と南阿蘇に出かけたら、阿蘇五岳が悠々とくっきりと横に広がった姿が望めた。

年が明け、東京に一週間ぶりに戻ってくると、まだ生活のリズムが戻らず、買い物を忘れたり洗濯で洗剤を入れ忘れたりした。また、お店に行けばまだ年始の営業が始まっておらず引き返し、映画館に行けば相当見上げる必要のある最前列の席しか残っておらず諦めた。空振り続きの年始である。自分にとって2018年は全体を振り返ると地味ながら非常に良い年だったが、今年はいかに。

那覇市へ

知人の結婚披露宴に出席するため、沖縄に来ている(辺野古へ土砂が投入されたこのタイミングで本州から沖縄に来るのは少し複雑な気持ちだ)。とはいえ、金曜日から2泊3日の日程のど真ん中、土曜日の正午から那覇市のホテルで披露宴なので、沖縄を回るというよりは、那覇市で時間をつぶすという感覚だ。

自分の思い出では、今回で2回目の訪問となる沖縄のイメージは、よくない。前回は2000年の12月、中学校の修学旅行で来たのだが、これが苦い思い出だ。神奈川から熊本の中学校に転校して日が浅い時期だったので、同級生との仲も深まっておらず、沖縄にいる間もずっと疎外感や居心地の悪さを感じていた憶えがある。あちこちを忙しなくバスで連れ回すような旅程にもセンスがなかった。

沖縄自体の良し悪しとは本来関係のないはずの18年前の悪しき印象が思っていた以上に強かったのか、今回、金曜日の午後に那覇空港に着いてからの気分も、どうにも盛り上がりに欠け、陰鬱だった。空はどんよりと曇っている。寒くはないが暖かくもない。冷たい飲み物がうまくもならず、温かい飲み物が沁みもしなさそうな中途半端な気候。モノレールから見える那覇の街は、くすんだコンクリートの建物が漫然と続いている…。

それでも、宿の受付の人、コンビニや本屋の店員さん、そんなささやかながら具体的な人たちとのやりとりを通じて、徐々に気持ちと身体が場所に慣れてきた。今、土曜日の午前はよく晴れている。

本とノート

前回の記事、話としては「ラーメンを食べました、おいしかったです、いいお店だとおもいました」というだけのことなのに、書くのにけっこう難儀した。下書きを書いていてもどうにも考えがまとまらず、理由もないのにやたらと焦る。こういうときは字が汚いし、言葉も思いつかず、文と文の接続もいまいち。それで一度は文章にまとめるのを諦めた。

気分転換に、その日に読み終わっていた本の内容をノートにまとめることにした。これはよくやるのだけれど、大したことではなくて、簡単なメモである。今回は20章からなるエッセイの本だったので、各章の題と、その内容を1センテンスでメモするだけ。半分はただの書き写しだ。ところが、始めてみると、先ほどまでのくさったような心持ちがみるみる落ち着いてきた。著者への敬意や愛着と、淡々と一章ずつ本をめくってはメモを書いてゆく単純作業に身を任せることが、気持ちを穏やかに静めるのか。ほぼA5サイズのノートの右側ちょうど1ページ分を使って書き終えたときにはすっかり悠然とした気分になっていたもので、すると不思議にも「いぶし銀」の話をスラスラと書くことが、少々気取った言い方をすれば、綴ることが、できたのだった。

いぶし銀

先日、近くに用事があったついでに、町田で一人で昼食を食べることになった。町田はラーメン激戦区ということで勇んでラーメン屋を探しはじめたが、運悪く閉店していたり休業中だったり…。昼の時刻もだいぶ過ぎ、昼ごはん難民になりかけたが、小田急線の線路沿いの道にある「いぶし銀」という店が開いていて、入れた。この店、メニューで煮干しラーメンを「ジャパン」、肉だしを「ターボ」と呼んでいたり、「124Ag」(124=いぶし、Ag=銀)とプリントされたTシャツを販売していたり、独自の個性と世界観を作り上げている。味のほうもたしかで、とても緻密で丁寧、うまい。ゆっくりと時間をかけて楽しみたい美味しさだ。

カウンターのふたつ右の端の席には、小ぎれいな身なりの男の人が座っていて、対象と話をしている。大将は男の人のことを「先生」と呼んでいて、会話から推測するに、この男の人は以前塾か家庭教師のバイトか何かで大将の子供を教えていたのだと思われる。「先生」は僕と年齢も職場の最寄駅も同じようなので親近感を持った。「また帰って来たときは顔出します」食べ終わった器を両手でカウンターに置き、そう言って先生は店を出て行った。彼が去って、僕が昼の営業時間の最後の客となった。じっくりとジャパンを味わい、お会計をして外に出る。いい店だった。こうした経験がひとつあるだけで、その街の印象がとても好ましく変わるから不思議だ。町田市出身の人に「神奈川県町田市ですよね?」と、お決まりのつっこみを入れることをやめはしないだろうけれど。

猫と庄造と緑道の整備

家の近くの緑道に、休日になるといつもいる猫とおじさんがいる。細かいことは知らない。猫はたぶん野良猫。おじさんは40代か50代くらいの中肉中背の体格、左ハンドルの部分にスーパーかコンビニのレジ袋を提げた白いロードバイクを道にとめ、座り込んで猫に餌などやっている。たまに煙草を吸いながら。

その「二人」がいつもいた場所も、前回書いた緑道の改修工事で立入禁止になってしまったので、僕は密かに一体どうなるのかと気を揉んでいた。立入禁止になって最初の休日…緑道と平行に通る道路のわきに、果たして、二人がいた。道路の前のアパートの入口の段差に、それまでと同じようにゆったりと腰を下ろしていた。ホッとした。

それからまた一週間か二週間が経った休日の午前。緑道の前を通ったら、そのおじさんが、工事範囲を区切る緑色の樹脂製フェンスの前で、誰かと立ち話をしている。近づいてみると、そこは緑道に直接面する一戸建ての家の前で、おじさんと話しているのはおそらくそこに住む老夫婦。その家は外へ出るのに緑道を横切る必要があるので、玄関前の幅2メートルくらいはフェンスも解かれて橋状に通れるようになっている。そしてそこに、老夫婦が出してあげたのだろうか、地面に厚い座布団が一枚敷かれ、上に猫が悠然と寝そべっている。おじさんと老夫婦は猫について他愛もない話をしている。僕は少し離れて話を耳に入れていただけだが、猫が人見知りをするのはにおいによって、云々。猫は機嫌良さそうに右の前足をせっせと舐めている。ホッとするのを通り越して、猫が無性に羨ましくなった。

「見えない」

ブラタモリ」など、多少なりとも建築や都市についての知識や素養があるとその分多く楽しめるであろうテレビ番組があったりするが、柴崎友香さんの小説は、読書におけるそれだと思う。芥川賞受賞作の「春の庭」など、街のささやかな移り変わりを捉えるセンスがすばらしい。個人的には、短編の「見えない」に痺れた。主人公はアパート二階の住人。ある日、部屋の窓からいつも見えていた裏の家の大木の枝が切り落とされていた。すると、それまでは鬱蒼と茂った大木に隠れて見えなかった古いマンションの部屋の並びが見えるようになり…。日常の空気感が予期せず変わる瞬間が、短編小説というフレームによって巧みに切り取られている。

この「見えない」によく似た体験を、最近した。家の近くに緑道が通っているのだが、それがある夜の帰り道、改修工事のために緑色のプラスチックの柵で囲われて立入禁止になっていた。この緑道、駅への行き帰りにいつも横切っていたが、これからしばらくは、数十メートルの遠回りをすることになった。柵がはられてから数日後、まだ慣れない迂回路から出勤しようとすると、腰をかがめて家の前の道を掃除していた年配の女性に「おはようございます」と挨拶された。緑道を横切るルートが切り落とされ、結果的に、それまでは出会うことのなかった景色が出現したわけだ。

2年前、あるトークイベントで柴崎さんは「私にとって、日常は非日常の連続で、なにげない日常もさりげない日常もない」と話されていた。

鹿島アントラーズ観戦記(その2)

評判に聞いていた通り、カシマサッカースタジアムの雰囲気は素晴らしい。サッカー専用スタジアムのため陸上のトラックがなくピッチと観客席の距離が近いし、4万人ほど収容の規模感は大きすぎず小さすぎず、ちょうどいい。転売ヤーがまとめ買いしたチケットを売り切れなかったのか、上段に空席が目立つのは残念だが、ゴール裏の赤一色に染まったサポーター席は美しい細密画のようでもあり、声援も規律正しく整っている。午後も遅い時間にさしかかってきて空にはうろこ雲が西日を受けて橙色にちらちらと浮かび、ゴール裏席とメインスタンド席の間の角部からは外に視界が抜けて丘の緑が見える。反対側の席からは、海側の景色が見えるのだろうか。

試合が始まると、立ち上がりはペルセポリスが攻勢をかけていたが、鹿島は耐え、徐々に盛り返してゆく。キャプテンで日本代表の昌子は味方によく指示を出してディフェンスを締め、前線の鈴木優磨あたりも身体を張って攻撃のリズムを少しずつ作っている。前半をスコアレスで折り返すと、後半は鹿島が主導権をにぎり、厚みのある攻撃から2点を挙げる。終盤は苛立ちをつのらせる相手を尻目にのらりくらりと時間を使い、2対0の快勝。第2戦のアウェーの戦いが残っているのでまだまだ油断はできないが、優勝に向けて大きなアドバンテージを得た。サッカー観戦で応援していたチームがこれほど充実した内容で勝つのは自分にとってほとんど初めてだ。試合終了後、コンコースのトイレで用を足していると、スピーカーから昌子のインタビューが聞こえてきた。「今日の応援じゃまだまだ足りない」とサポーターを煽っている。その前向きな声音からのサポーターのさらなる盛り上がりを想像すると心が温まった。

Jリーグが発足してはや四半世紀、トータルの実績や安定感から言って、鹿島アントラーズは誰もが認める名門クラブだ。今回の観戦は、言葉で上手く表現できないが、そんなクラブの格の高さを感じた経験だった。大一番でのこの試合内容は出来過ぎだったし、ひょっとすると第2戦で逆転されるかもしれないが、それでも鹿島が日本のクラブであることを誇らしく感じたのだった。これは、昨年のアジアチャンピオンズリーグ優勝を生で見た浦和レッズに対しては、申し訳ないが、抱かなかった類の感情だ。たとえば、浦和サポーターの応援やブーイングが敵チームを苛めるための度が過ぎたおこないに聞こえてしまうのに対して、鹿島サポーターのそれは、シンプルにアントラーズの選手たちを後押しするもののように聞こえた(僕の先入観が多分に入っているが)。

帰りの移動の方が来るときよりもスムーズだった。渋滞する車のテールライトの赤い光が数珠繋ぎにつらなる国道沿いをウィンドブレーカーを羽織って30分ほど鹿島神宮駅まで歩き、ローカル線に乗って佐原へ。次いで乗り換えて成田へ。夜の参道は多くの店がシャッターをおろしていてひっそりしていたが、まだ開いていた鰻屋で鰻丼をいただく。成田からもひとつひとつ電車を乗り継いで、夜の10時頃に帰宅した。